01.16
人間というものは、しやわせより不幸せを望み待ち焦がれている細胞のようなものを持っているのかもしれませぬ。
平和、平和と唱えつつも、穏やかな暮らしに包まれると三日としてジッとしていられなくなるのでございます。
「なに面白いことはないか」
と知人と話し合い、テロが発生したと聞くと、俄然、刺激され興奮を抑えきれなくなるのでございます。
表現の自由などといううたい文句に触発された民衆の大がかりなデモをテレビ画面で眺め、「エリート面した新聞社などぶっ潰してしまえば良いのだ」の気持ちをどこかで感じつつも、「大変な時代がきているようだ」と案じ顔をし、そんな自分にいたく満足するわけでございます。
いまでは震災が懐かしくも思われるのであります。
計画停電や買い占めなど、人間の裸の姿を眺めつつ、もしも、隣のヤツが襲ってくるかもしれないと家の備えを万全にし、移民たちに目を光らせ、あるいは誰を好きなのか、そうではないのか、誰が大切で、誰が大切ではないのかが分かったり、そういう環境が、まるでしやわせだったようにも感じるのでございます。
「あのときメールも電話もしてくれなかったよね」
と詰め寄られたことがありました。
「そっちもね」
と答えつつ、いや、あの時、電話しようとしてなぜかウンザリしてしまった感情が湧き起った自分の心を振り返ったりいたします。
「どうしてだろう」と。
もともと好きでもなんでもなく、ただのセフレだったとしても電話くらいしてもよさそうなのに、ふいに巻き起こった億劫さを、私メはいまでも忘れることはできませんです。
「そっちだって」
とはっきりした答えをごまかしつつ、相手を傷つけたいという不幸せの細胞は、いかなる場合にも目を覚ますものだと思うのでございます。
また春がきました。
春は秋の始めでございますです。
闇夜があってこそ花は咲くと申します
花が咲けば、闇夜がまた忍び寄って来るのであります
●十傳より→イイことをおしっしゃいますですね。
先生のおっしゃられる通り、あの震災の直後
自分にとって何が大事かそうでないかがハッキリと分りました。
勤め先に居た私が真っ先に頭に浮かんだのは老いた母の事でした。
そして 現場へ行っている社長も含めた勤め先の人達、二人の兄、猫ども
庭先で恐怖のため動けなくなっていた社長の母親の面倒を1時間程見てから
心配と恐怖で押し潰れそうになりながら実家へと車を走らせました。
実家へ着いてみると母はいたって冷静でしたが
私の顔を見た犬が喜びながらも ゼンマイ仕掛けのように震えていているのを見て
カワイそうでしたが思わず笑ってしまいました。
地震の直後、山スソ から黄色い巨大な龍がユックリと舞い上がって行ったのを
未だに忘れられません。
恐らく大量の花粉の帯だったのでしょう。
伯母様はやっと楽になれたのですね。
安らかであられる事を願っております。
ただ、お母様には 辛い別れですね、とてもお気の毒です。
●十傳より→老母の趣味は、一連の葬儀でありますから、生き生きとした声でございました。