2023
11.15
11.15
長い間、停滞していた夏がやっと退き、到来したばかりの秋が駆け足で過ぎ去ろうとしております。
まるで長期間、病気で入院していたお女性が、退院し、あわてて恋をするかのよーに。
木々の葉は色づき、落葉を待っております。
モリオカの植木の業者から電話があったのは、ジムのロビーで靴を履き替えた時でありました。
「どーしやんすか、今年は?」
もちろんお願いしますと答え、あれこれと指示をいたしました。
「あまり木を切らないでください」
と念を押しましたです。
三年前だったかに松の木を切り倒した直後、坐骨神経痛に見舞われたことを思い出したからであります。また今年の春先に、柿の木の枝を極端に縮めた翌週に、左目を痛めたのでした。
因果関係があるかといえば、それは「?」。
けれど、二回の符号の一致が、私メを怯えさせたのであります。
が、剪定は必要であります。
今年の夏の暑さのため、いつもは歯を食い荒らす毛虫がほとんど発生しなかったのですが、剪定しないと、こんどは落ち葉の処理に困るのてあります。
ハラハラと散るのではなく、ドサッ、ドサッと落ち葉が落ち、それらを竹ぼうきで集める作業は大変。
それにしても二回の符号については、易者としてすこと考察する必要があるな、とは感じております。
以前、梅の木を切り倒した時には、根があった場所に、塩を撒いたものです。
「小さなころから、この梅の木に登り、お世話になった」
の感謝の気持ちがあったからであります。
梨の木を処分した時も、同じ気持ちで塩を撒きました。
松の木と柿の木には、なんの処理もしませんでした。
ちょうど、十傳スクールで家相を講義していますから、木と人間の運勢について、たとえば電車に乗っている時間などに、よーく考えるつもりであります。
今年の2月に、猫の爪とぎにされ、ここ数年殆ど実を付けなくなってしまい、緑色のとげみたいなのがあるいも虫だけが大量発生していた柿木を抜根し処分しました。
根があった場所に塩をまきました。
その後、特に変わった事も有りませんでしたから、塩をまいたのが良かったのでしょうか。
●十傳より→よかっのでしょうね。
植木にも心(魂)があると思います
長年、人々の目や食を楽しませてきたミカンや柿など他の木々達
突然根元から切られたら
「何で?」「どうして?」
「毎年、実った果実を喜んでくれたのに」
「見事な枝ぶりと感嘆してくれたのに」
それでも、庭に生える木々達の悲痛な声は人には届かぬもの
でも人々に尽くした分
木々達の悲しみは人への災いとなって帰って来るものだと思います
長年、時に自分より長くこの世を見てきたと思われる大木も
小野先生でしたら
それらの木々を成仏させるよう伐採させる事が可能なのでしょうね
ちなみに、子供の頃、庭先にあったミカンの木
とっても甘い次郎柿の大木
今では姿を消しましたが
タワワに実ったミカンや熟れた柿の実も、私が生きている間はずっと
記憶の中で存在し続けるのです
●十傳より→それからは切った枝や木を乾かして虫よけをして、床の間などに置いてオブジェにして祀っておりますです。