2023
12.19

ふと、「どーなっているんだろう、あそこは?」と好奇心に刺激され、今年の2月まで通っていたジムをたずねたのでした。

ご覧のとおりです。

かつて老人たちで賑わったジムは廃園と化し、枯葉が吹き溜まりをつくっておるばかり。
それら老人たちの幾人かは、この夏の熱暑のために亡くなったのであります。

過ぎ去った夏の恋を懐かしんでいるよーにも思えます。
ちょっとした言葉のやり取りが恋を亡ぼすことはよくあること。
ジムでの想い出は、形を変え、「なぜ、あんなことを言ったのか」と忸怩たる気持ちにさせるのであります。

が、「傷つけた」というのは、すこし思い上がっているのではないかと。
これもよく耳にする言葉でございます。
「傷ついた」「傷つけた」「傷つけられた」

もしも、相手が何か強い誇りをもって生活しているのなら、傷ついたりはしまい。
ただ「腹が立った」。それだけだろう。
すでに関係が限界すれすれのところまで来ていて、ちょっとした一言で決壊した。それだけだろう。

そして、廃園を振り返りますと、死んだ老人たちの面影が、汚れた窓々からのぞいているのでありました。
一人一人の年寄りたちは、それぞれの人生を経て、斃れていったのであります。

いずれは私メも。
いずれは、この世の全員も。

自分の年齢は、もう反省する齢でもないし、傷つく齢でもない。
そういうことは終わってしまった齢。終わったと自覚せねばならぬ齢。

私メは、いま郷里のモリオカの、屋敷に一人居て、冬枯れの庭を、暗がりに目をすぼめて眺めているのであります。
ここもまた廃園でございます。

  1. 今日、京都に行ったのですが、富美屋に鍋焼きうどんを食べる時間がなく、歌舞伎座横の
    和菓子屋で高級おはぎと栗ご飯を買ったのですが味は普通でした、観光客向けのものとはいえ
    その観光客もよらないし、地元の人も当然。京都も廃墟となっていきそうです!

      ●十傳より→中国人のお金目当ての、日本猿のあさましさが京都に集約されております。さっさと戦争しろ!

  2. 近所のお蕎麦屋さんのお母さんが亡くなりました
    「母が亡くなり葬式の為、明日は人の出入りが多くなると思います」
    「ご近所のこちらにもご迷惑をお掛けするかもしれません」
    仕事から帰宅した兄の所へお蕎麦屋さんの旦那さんが挨拶に来ました
    ここ数日、やたらと人の出入りが激しいので「もしや」と心配していたのですが
    実家の隣のオバサン
    私の母が健在だった時
    私は仕事が休みの度に母を買い物と食事に連れて行っていました
    その私たちの姿をバンたび目にしていた隣のオバサン
    「いいね~ お母ちゃんと一緒で」
    「お母ちゃんも幸せだね」と
    駐車場で母を待つ私に幾度となく話しかけてきたものです
    このおばさんには二人の息子と一人の娘がいました
    娘はともかく息子とはナカナカ食事や買い物に行かないもの
    でも娘は東京である会社の社長秘書をしていて
    滅多には故郷に戻ってくることはなかったのです
    きっとオバサンは、娘とイオンへ行ったり食事をしたりしたかったのでしょうね
    貧乏な当家とは違い裕福だった隣のオバサンですが
    足が悪く、一人では歩行困難な状態でした
    「幸せとは何か」
    その問いに対する答えがあって無いような
    あるとすれば、先生が常々言っておられる「自由・健康・お金(だったかな?)」

    ●十傳より→その三つさえ釣り合っていれば。