2024
01.08

まだ、事務所を神楽坂に移転する前ですから、2008年より前のことであります。

あるライターさんと、どこかで飲み、酔った勢いで、
「神楽坂の焼き肉店に行こう!」
と誘われ、タクシーをひろい神楽坂上で降りたところまでは記憶があります。

酩酊していましたから、後の記憶は断片で、細い路地をくぐりぬけ、すると古いちいさな店がいくつか並ぶ小路につきあたり、そこが焼き肉店だったのですが、神楽坂に事務所を置いてから、何回か、その焼き肉店を探しているのですが見つかりません。

この日も、講義を終えてから、ふと、衝動がわいて、神楽坂の裏通りを探索したのであります。
バラックの家が、まだ現存してたりして、現在の、粋な街というイメージからは程遠いのであります。

時代をさらに遡り、私メが27才あたり、新大久保の安アパートに住んでいた頃、
「神楽坂で飲んでんだけど…」
と近所のホステスさんから、「迎えに来てヨ」の電話があり、オートバイで向かった当時の、神楽坂はすっかり鄙びていて、古いしもた屋風な家々が並ぶ寂しい場所でした。
いまのロイホのあたりに悲しいほど荒んだ飲み屋があり、常連客は九段に会社のある東洋経済新聞の奴らばかり。
酔いつぶれたホステスさんを後ろに乗せ、女子医大の前をぬけ、戸塚団地を通って、大久保の彼女のアパートまで送り届けたのでありました。

画像は、時代劇のセットではございません。
神楽坂の裏通りでございます。

結局は、この日も、ライターさんと飲み食いした焼き肉店は見つかりませんでした。というより、その小路にたどり着けないのでした。

記憶では、小路をぬけ表通りのバーで、ドライマティーニを2杯ずつ飲み、そのライターさんはグテングテンに酔いつぶれ、
「オレはよう、こんな店で、マティーニを飲むのが夢だったんだよ」
と泣き始めたのでありました。

見つけようと渇望しながら、見つかって欲しくない気持ちもあるのでございます。
それは、お女性の心の底を知りたくない気持ちと、どこか共通しているのかもしれませんです。

  1. 話しは少し違うかもしれませんが
    久しぶりに尋ねた地に着いた途端
    以前目にしたことの無い新しい道路に戸惑う事が多々ありました
    「なに? この道路?」
    「前には こんな道なかったけど」
    「いったい自分は何処にいるの?」
    そんな不安を抱きながら右往左往とハンドルを切り
    どうすべ どうすべ 焦る私
    どうにか見知った道路に出て ホッと安堵するのでした
    方向 ドッ音痴な私にとって
    予想していない新道路は心拍数を激上げさせるのです

      ●十傳より→知っているはずの町で、道に迷うのはひとつの快感であります。