2023
02.22

物騒な時代になりまして、強盗が相次ぐよーになっております。

そこで、モリオカの実家のそこかしこに「見張り番」なるものや、部屋部屋の照明が遠隔操作で点灯するものとか、その他、秘密の装置を付けたのでございます。
「あんや、なにしてるえん!」
具合のすぐれなかったはずの老母が部屋から、カメのよーに首を出して興奮したのでございます。
「見張られるのヤンタ~」
ヤンタとは嫌だという方言。
設置に反対するのでございましたが、
「んだら、施設に入るしかねんだなぁ」
と返しましたら、大人しくなり、工事の方も、一時はなじょなるのがやー、だった顔色もなおり、作業を続行するのでございました。

家相は、巒頭(らんとう)と理気で見るのであります。
巒頭とは、形で判断するヤツであります。
家の形だの、トイレの広さだのそういう、目で見られる判断材料であります。

今回の「見張り番」もいうなれば巒頭に属すかもしれません。

では、「理気」はどーでしょー。
理気は、理気盤。奇門遁甲の家相盤でして、目では見ることのできない「気」でございます。
門と玄関の向きから家相盤を作成し、家と照らし合わせ、
「ふーむ、客間は青龍返首ですね」とか「じゃじゃじゃ、刑格を寝室にしたんですか、浮気しますよ」
などと判断するのであります。

じつは、実家の、家相盤には、あえて大凶格といえる場所を配しておるのであります。
ビギナーさんから見たら、じゃじゃじゃじゃ、
「えーっ、マジっすかぁ!」
と騒ぎたくなるほどの大凶格なのであります。

しかし、その大凶格は、家相術で読み解くと、
「ドロボーが逃げていく」
意味が隠されておるのでございます。

反対に「ドロボーが入り込む」という別の大凶格もございますから、そこらへんがポイントといえばポイント。難しいところなのであります。

以前の家は、ボヤ騒ぎ、ドロボー、色情問題が相次ぎ、それは大変でございました。
祖父が工夫して建てたそうですが、巒頭や理気であらためて見直しましたら、
「それだけでなく祟りもあるなぁ」
つい納得してしまう家相でありました。

さーて、今回の設備によって、どーなるか。
楽しみでございます。

2023
02.21

関東からモリオカに戻りましたら、一か月のうちに積もった雪に圧倒されたのでございます。
「スキーができるな」
くらいの積もり方でありました。

夕方になると雪雲がたれこめ、思い出したよーに舞いだすのでございます。
耳の良い人なら、雪ひらが上下左右に風になぶられ、最後に地表の白に落ちる瞬間の音を聞くことができるかもです。
どんな音なのだろー。

耳カスが耳の音でガサッと聞こえる、あの音に似てるのだろーか。
それとも、電車で途中下車して別れたお女性が、振り向くとホームで何か伝えよーと口をうごかしているけれど窓ガラスのために聞こえない、あの声みたいなのだろーか。

あるいは、話したいことはたくさんあるのに、もう、話すべきことのなくなった二人のテーブルのコーヒーカップをはさんで沈黙と向き合った声と似ているのかもしれません。

思い出の中で、お女性は何か言いかけて「なんでもない」と首を振る。
「なんでもない」と首を振ってため息をつく。
「なんでもない」と首を振ってため息をついたあとに何か歌のよーなものを口の中で歌う。
なんども、その光景を思い出していたら、苦しさが、こんなに積もった雪になってしまう。

後悔でもなく、うしろめたさでもなく、懐かしさでもなく、無常のよーな思いでございます。

あれから、あのときから、あそこから…
いつしか歳月までもが積もっていくのでございます。

モリオカに来ると、時間という空間が奇妙に回り出すのでありました。

2023
02.20

時代からはみ出した感を、さいきん、しきりに覚えるのであります。
もはや自分の慣れ親しんだ時代ではないと。

当たり前のことを言いたくても、
「それは時代遅れの発言」
と非難されそーな億劫さを感じるのでございます。

どんなことが当たり前の発言かといわれても、ほとんどがそれなのですから、いちいち「あれだ、これだ」という気力もございません。

隠遁生活でもして、こちらから去ってしまうことが賢いのではないかという気がしないでもありません。
とうとう頑固ジジイの仲間入りでございます。

問題は、トイレ事情でございましょーか。
山奥でも離れ小島でもイイのですが、トイレは洗浄付きの水洗であることは譲れません。

4月からの新講座もラインナップいたしまして、それらの資料を段ボールに詰めて、テキストの最終チェックに入るのですが、山奥の温泉地はないかと探しておるのであります。
誰一人として訪れることのない宿を。
そこで、朝から深夜まで、仕事に耽るのが、私メに残されてしやわせなのであります。

占いをやってきて30年あまり。
けっこうな量の知識がたまっておるのでございます。
それらをまとめる時期にも来ております。

私メには未来はなく、未来がないということは案外サッパリとしたものでして、
「ああ、あれはもう20年以上のまえのことか」
過去のあれこれをほじくり出すだけでございます。
段ボールには、ずっとむかしの講義録の下書きもございまして、いまでは当たり前の箇所に「?」マークが付されて、それは懐かしいのでございます。

願わくば、可愛い村娘が、朝晩の食事を運んではきてくれないだろーか…。