2023
10.20

モリオカタイムスの第一面に、「モリオカ地区の行くべき52カ所」と赤枠で、安比高原の蕎麦屋が載っておりました。

そこに妹が、夫の千葉さんがら、本日仕事が「休みだおん」と逃れてまいりました。

流刑地に住まう老母の冬の布団を届けたあと、モリオカタイムスの記事を述べましたら、
「行ぐっかぁ」
ということになり北へ向かいました。

すでに紅葉が始まり、ゴッホの絵画のよーな見渡す限り田園のなかを、妹の運転するクルマの助手席で眺めておりました。
目的地まで一時間と少し。

見つかりました。
吹きっさらしにいまにも飛ばされそーな粗末な蕎麦屋でございました。

オヤジがおりまして、記事に載っていたと知らせましたところ、
「すらねがっだじゃ」
方言です。
たしかに新聞に載ったのに、店内には常連らしき煤けた顔の男が二人いるだけ。

大シメジの蕎麦を注文したら、そのオヤジは「わがね、わがね、すったなごと言わねで、ほんすめじにせ」とのアドバイスに従いました。

出てきた蕎麦は一瞬沈黙するほどの美味。
「どんだでゃ?」
言葉を失いましたです。
美味すぎるのです。濃厚な出汁に元シメジが混ざり合い、蕎麦はつなぎを使っておらず、ポクポクとほどけ、からみ大根のおろしと唐辛子がアクセントになっております。
いや、それより懐かしい過去の想い出まで、セロの弦から流れ出す深い音色のよーに脳天を回り出すのであります。そんな味なのです。
「かぁちゃんの手打ずよぁ」
イタリアの田舎町の料理屋の店主のよーに、もう私メの隣まで来て、しゃべる、しゃべる。
そんなオヤジの相手をしながら、
今はもういない祖母や、若かりし叔母たちが、楽しそうに食事する大晦日の晩の光景が、無音でよみがえるではありませんか。
叔母の一人が仕事から帰ってきて、おかえり、おかえり、おかえりと廊下を踏み鳴らしながら玄関に出迎えるのです。
外は雪。真っ白な雪を毛糸の帽子にのせた叔母。部屋の中はしやわせな湯気が立ちのぼり、それらが無声の八ミリ映像のよーに。

いま一人で屋敷の仕事部屋で、蕎麦の味を反芻しております。
冷たい雨が降り始めております。

開運した晴れ晴れとした気が仕事部屋に満ちております。
「すっげぐめがった」と汁まで飲み干した私メを見とどけ「んだべ、んだべ、もはほがの蕎麦はけねべおん」と満足げなオヤジの顔は、一か月間は効果が持続する栄養がございましたです。