2023
10.24
10.24
池までの散歩を足をのばし神庭山を散策しました。
栗林が点在し、私メが行った頃には、イガばかりが散乱し、誰かに拾われたあとでありました。
でも、切株にこうして、まるまると肥えた栗の実が、供え物のように置かれておりました。
地方都市の微笑ましいところは、こういうところにあるのかもしれません。
散歩に目的はございません。
ただブラブラと歩くのみ。
スポーツでもなければ、通勤通学でもない。
ただの時間つぶし。
「死にたい」
という相談をよく受けます。
気のきいた答えは出ません。
私メ自身、生きたくて生きているわけでもなく、かといって自殺ほど強烈な死への欲望もございません。
たんなる暇つぶしで、ここまで生きてきたのでございます。
「死にたいという人は死なない」
この言葉にも同調できません。
占いで、最悪は「死」であります。
死期の見方はいろいろでありますが、命式のバランスが崩れ、その崩れを体力なり年齢がカバーできなくなった時に死ぬわけです。
ボイドタイムのように、緊張がほどけた後のよーなものであります。
切株の上に供えられた栗をみただけで、「もうちょい、生きてみるか」と思う人もきっといるだろーなぁなどと甘いことを考えましたです。