2017
06.21

雨が朝から発狂した如く降るのでありました。風もございまして関東は暴風雨なのであります。

嬉しくなってドライブをいたしましたです。

前を行くのはフェアレディZ。いにしえの名車でありまして、やはり嬉しくなったのでありましょう。

雨のためにラッキョーヘルの自転車野郎もおらず、年寄り連中も老木のウロで嵐の過ぎ去るまで身をよせているらしく、道は走りやすいのでありました。
取り締まりのあるわけもございませぬ。

口をついで出てくるのは、なぜか「君の行く道」
♪きみのぉ、行く道は果てしなく遠いぃぃぃぃ♪
かすれ声で「うるせバカ!」と歌にケリを入れるのでありました。
♪きみのぉ、あの人は、いまわぁ、もういないぃぃぃぃ♪
「このお節介めが、自分のことを心配しろ!」

この現象は、激しく上機嫌だという証拠なのであります。

かすれ声は腹に力をいれないと、ちゃんと声が出ないのであります。
ですから、いつもより空腹になる時間が早いのであります。

博多ラーメン屋に寄るのでありました。昨夜も食ったのですが、本日もであります。

雨の日のとんこつは申し分なくしやわせになるのであります。

しゃがれ声で「ばりかた!」。
これでイイのであります。

街から人が絶えたよーに、雨ばかりが逆巻いておるのであります。

雨の日を、もしも不運の期間だとすれば、不運にも不運なりの楽しみ方があるのでありましょう。

茹で餃子のしろくふかふかな感触を味わったとき、ふと思いましたです。

やわらかな乳房を後ろから抱きしめながら、カーテンの隙間の雨の模様を眺めるのも悪くなかったかもですね、と…。

2017
06.19

季節は6月で、庭には紫陽花が咲いています。

花言葉はいろいろですが、「うつろう愛」がイイように感じますです。
が、この花は、じつは花ではなくて額だというのも面白うございます。

ホントの花は別なんだとか。

と、すると「誰も知らない私の心」も花言葉に追加してもイイかもです。
気まぐれな明るさを振りまきつつ「これからちょっと用事があるから…」と仲間の誘いをやんわりと断り、密会の飲み屋へと向かうお女性の姿が連想させるのであります。

逢うまでは逢うことばかり期待し、逢えば物足りなさをかんじ、サヨナラを告げると逢っていたのが嘘のようにもおもえ、心の底で咲くホントの花を見てくれなかった淋しさがかなしく、夜更けの駅の構内をさまようようにホームに出ているのでありましょうか。

私はじゅうしち、私はにじゅうしち、私はさんじゅうしち、私はよんじゅうしち……わたしは、わたしは、わたしは。
紫陽花が色を変えるように愛する男をかえながら、ホントの花は枯れてしまったのか、最初から咲かなかったのか。
もういちど、じゅうしちの自分に逢ってみたい。

梅雨の晴れ間の妄想に浸るのも悪くありませんです。

私メは、神田の小道を曲がりました。
24歳の私メが、6月17日午前9時30分に通った小道を。
40年ほど前の小道はまだ存在しておりましたが、紫陽花の鉢を店先にだしていた喫茶店はありませんでした。
もちろん私メも私メをまっていた昭和30年6月4日生まれのお女性もいないのでありました。

この命式はやがて講義のネタとなるのであります。

誰もしらないあなたの心。

2017
06.18

ヤバイなぁ、と喉を抑えつつ朝の神田界隈を散歩したのであります。

声が出ないのであります。
前日の四柱推命卒論科でハリキリすぎたのでしょうか。
それともタタリか。

亡父の葬式の前後も、やはり声が完全につぶれ、焦った記憶がございます。

で、本日の四柱推命初等科Cでは、六時間、スカスカ声でなんとかやり抜いたのでございました。
受講生の皆様には、お聞き苦し過ぎたはずであります。

そこで完全にノックアウト。
よし、それならばと喉を鍛えよーと、コンビニでタバコを買おうとしましたが、銘柄も番号も言えぬのでありました。

「だれのタタリだべか」
と思いを巡らすのも、意外に楽しゅうございます。
先日死んだオジのヤツだろうか、それとも鑑定のお客様の誰かのヤツだろうか。
やっぱり講義で声の使い過ぎなのだろうか。

それにしても、よくぞ六時間の講義で何とかしたなぁと、いまさらながら感心する次第。

飴玉でもしゃぶるしかなさそーであります。