2019
05.07

事務所の近所に、ラ・カグーという店がござます。

「シェー!」
バカ高い服ばかりでありまして、どーやら、名前を最近になって変えたよーであります。

原宿のショップなら、買った紙袋を自慢して歩けるでしょーが、神楽坂では、見せる場もなく、駅の急階段をむなしく降りるばかり。

10連休の間に花木が紫の花弁をほころばせ、5月の風に揺れておるのであります。
令和に改元されたのはイイとして、不思議に購買意欲が湧きませぬ。
「着飾ってもなぁ」
とブランドを眺めても、お女性たちの心が躍らないのは、どーしたことでありましょーか。

それは、
「飲み会に無理に参加してもなぁ」
に通ずるのかもしれませぬ。

羽目をはずしたり、一人着飾ることに気兼ねしてしまう世の中がスタートしたということでありましょーか。

私メも、講義の際に、
「これは差別用語丸出しだよな」
と、ちと自制してしまう場合がございます。

「この生年月日のまま生きていけば『脳足りん』になってしまう」と言いかけて、「知的障害者」という言葉に置き換えてしまったり。

が、花は、
「馬鹿め、馬鹿め」
と風に揺れるばかり。

梅雨の季節が到来するまで、街は次々に花々が咲き誇りますです。
そーして夏の花へと切り替わるのでありましょー。

人々はせっせと働いたくいらいにして、
ふと、「自分は…」と足を止めるのでございます。

本当に、自分は必要とされているのか。必要とされて働いているか。好きなものは何だっけ。面白いと読んでいた小説は本当に面白いのか。愛している相手を、本当に愛しているのか。本当に酒を飲みたいのか。どこが楽しくて笑っているのか。野球もサッカーも好きではなかったのではなかったか。

花が咲くことが当たり前のことのよーに思いながら、花を見上げても花を忘れ、何処へ自分が行くのかもわからなくなり、「これが正しいのだ」「これが楽しいのだ」「これが美味いのだ」と流されていってしまうよーであります。