2021
01.22

命日を何日か過ぎていましたが、伯母の墓参をしてきたのであります。
墓までの小径は腿までの雪に埋もれ、雪の進軍でございました。

枯れた花が供されているところを見ますと、大雪の前に叔母の家族が七回忌をあげたようでございます。

「いい時に死んだのかもしれない」
得体のしれない不安に覆われて、それが不吉な予感を刺激するのでしょうか、最近の鑑定のお客様の多さに、やがて来る時代の狂気を教えられているのであります。

世間は、五輪で大騒ぎをしております。
老いぼれ政治家とか小狡いお女性政治家を非難しておりますけれど、もともと政治家をそこまで信用していたのかと、かえって呆れるばかり。

石原の目バチクリが、東京シティマラソンだの、五輪を提唱した時から、
「大反対」
すべてに反対なのであります。とにかく政治家をすこしでも信じたらお仕舞であります。

そんなに走りたくば、小学校の校庭を何百周か走れば良く、泳ぎたくば尖閣付近にブイを浮かべてコースを作ればイイと思っておりました。
疫病と放射能が蔓延しているのでありますし。

「いつ死んだらいいのやら…」
たどり着いた墓に手を合わせつつ、生きることにウンザリするのでありました。

墓場は妙に落ち着く憩いの場でもございます。
未来はなく、過去ばかり。

伯母も、若いころに、実家の2階に下宿していた学生と恋に堕ちたそうで、祖父と祖母に反対され、泣く泣く引き裂かれ、その復讐だと思うますが、禁教であるキリスト教に走り、藤沢の教会に逃げたところ、「あなたは仏教か沁みついている」と追い返され、モリオカに帰ると、家の敷居をまたぐなと命じられ、結婚は遅れに遅れ、4人のこぶ付きの市兵衛さんと結ばれ、子をもうけ、ところがその子が、家に放火。その時から正気を失って10年間施設暮らし…。市兵衛さんに隠し子がいたということを知っていたのか、知らぬのか。
一生はドラマティックでございます。

そういう過去をしみじみと、なつかしいものに語られるというのも、死んだ者の特権でありましょう。

思い出だけが脈絡なくぼろぼろと思い出されるのでございました。

長生きをしたって、過去をいっしょに、
「んだった、んだった。あのとき、あんだは…」
などと語り合える相手がいなくなり、
「その話は何回も聞いた」
娘にうるさがられるだけでございましょう。

皺だられになり臭い体臭を放ち、恋も出来ず、食事も固いものや甘いもの、塩辛いものも禁じられ、酒も飲めなくなる。
そうそうに死ぬのがイチバンなのは間違いございません。
「お金持ちになってから死のうよ」
などと自殺願望者の鑑定で語ってはおりますが、説得力に欠けるなぁと、自覚している次第でございます。

2021
01.21

たまには外で食事をしよーかと思ったのですが、モリオカは咳き込んでいる奴らが多いのでありました。
「おいおい」
周囲の農民は、咳き込んでいるオヤジをジロリト見て、そそくさと引き上げる始末。
文句でも言おうものなら、言い合いとなり、そこで唾液の飛沫をあびるだろうことから、無言で去るのが得策。
哀れなのは店側であります。

疫病は県外からもたらされるという神話は実質上崩壊。
感染者は数字の上では少ないだけで、それは政策上ではないかと疑うのであります。

ということで、老母を県外ナンバーの愛車に連れ戻し、手料理に切り替えたのであります。

イワシとレモンのパスタ。

火加減をちょっと失敗しましたが、まあまあの出来。
「不思議な味だごど。食べるうちにやめられなくなる」
とソースまでペロリ。

それにしても今冬の寒さは骨身に染みるのであります。

盛り付ける皿は冷え冷え。
だから皿をお湯で温める配慮が必要なのであります。

近くの池は、このとおり凍結し、ハクチョウなどが群れ為しております。
以前は毎年のよーに厚い氷が張り、大昔、冬季国体のスケート競技をした写真までございます。
私メも中学の折、お女性を誘って滑ったことがございます。

それが、中国人のために暖冬が続き、氷の張らない年が続きました。
やっとの凍結であります。

ハクチョウやカモは、人の姿を見ると、餌をもとめて近づいてくるのであります。
あたかも日本人が海外の方々のお金を求めて醜さをむき出しにするよーに。

などと考えつつ、冷えたお皿をお湯で温め、盛り付けると、
「相撲、いいところだから」
結局は冷めてからキッチンのテーブルに着くのでございます。

しかし、やっと自分のペースが戻ってまいりました。

今年の十傳スクールのスケジュール等を立てなければ…!

2021
01.20

毎日、通っているのです。
蘭丸のいるコンビニに。

吹雪の日に、一人で、店のパーキングの雪掻きをしていましたね。
髪の毛を風に乱し、素手で、その指先を痛々しく赤く染めて。
雪を除けるたびに、あなたはお尻を突き出し、そこだけ、
「ああ、お女性なんだ」
胸が早鐘を打ちました。

だけど、レジでのあなたの仕打ちは冷たすぎるのです。
切れ長の少年の瞳には、私メが映っていないのです。

春一番に芽吹く、つくしのような真っ白いペニスを、いちど舌でころがしてみたい。硬さをはかってみたい。
腋の下をさらして、まばらに生えている腋毛の一本一本を噛んでみたい。そのとき小さな乳首が、私メの乳首とこすれあうかもしれません。

モリオカでの楽しみの一つが、蘭丸を見学に行くことなのでありました。
そして妄想というベールで包み込まれる喜び。

まだ関東から離れて三日しかたっていないのに、関東が遠く感じられますです。
関東が、
「夢ではなかったのか」
そんな不思議な錯覚が、どういう回路の働きなのかジェンダーの蘭丸くんに走らせるのでございます。

帰り道は、
「まずはおわった」
あたかも神社の参拝をすましたあとのような、寂しくも清々しい気分なのでございます。

これは本物のお女性にたいする苦しい気持ちとは、似てはおりますが、いささか異なりますです。
あえていえばペット。
コレなのでございます。

自分のペットではなく、ペットショップのゲージにいるワンちゃん。
「まだ買われていなかったか」
の愛くるしい安ど感。
パグとか、そういう犬種で、そのなかでも、どこか不細工な犬。不細工なのに懸命に生きようとしている切なさ。
けれど、そのうち初見は不細工だけれど、それがたまらない魅力に蒸留されて感じられる犬。

カタワだからこその美。実用としては使えない観賞用の陶器。
自己主張しない美しさ。

だからこそのOh!蘭丸、なのでございます。

親しくなれば、すべてが壊れていきそうです。触れるさきから掌でとけてしまう淡雪のよーに。
遠くで見ていなければならない美しさなのでございます。