2012
08.10

たまには、お手相のお話でもいたしましょうか。

画像をご覧くださいまし。

ポイントはいくつかありますです。
①感情線の先端が房状になっている。
②血痕線が三本以上で、ひとつがシマになっている。
③金環紋が二重になっている。
④月丘に短い横線が数本ある。
⑤運命線に×印がある。

すべて不倫を物語るものでありますです。

今回は⑤の運命線に着目いたしましょう、

運命線上に左右から線が交差して×印を構成している場合は、恋愛の回数を暗示しているのであります。
運命線の上部は若い年代。
下にさがるにつれて年齢が増していくのであります。

画像では、下の方に、金星丘、つまり、生命線の内側から線が伸びて運命線にぶつかっております。
こういう場合は、家庭を犠牲にして濁情に走るのでありますです。

この画像も同様に濁情に走る相でありますが、
運命線にぶつかる線は月丘、つまり小指の下のふくらみから走る線でありますです。
こういうケースは、相手側からの強いアプローチによって不倫へと傾くのであります。

この画像では、結婚線が二本並行していますです。
また、生命線の内側に並行して線が刻まれております。

これは二股を物語っておりますです。
二重生命線は、結婚しても昔の情人を忘れられない証明となるのであります。

まぁ、だれしもが「あったあった」と大騒ぎするのでありますが、この相が二つ以上あれば、濁情を防ぐことはあたわず、でありましょう。

最近は、年齢のせいか、季節のせいか、愛と聞くと身ぶるいいたすのであります。
人と語り合うことも億劫であります。
テレビをたまに見ますが消音ボタンをおすのでございます。

そのぶん邪念がおきませぬから、占いも余計なところまで当たって、ますます人嫌いって感じでござそうろう。

10 comments

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  1. 先生こんにちは。
    私の手相を見て頂いている様です。
    だいたい当てはまっております。

    ●十傳より→へえー。

  2. 図に当てはまる線がナイ…
    おっかしいなぁ。
    というか、細かい線がいっぱいあって、どれをどう見ていいのか分かりません…。

    人嫌い、ですか…。
    ハイジのおじいさんみたいになっている先生を想像してしまうわ。

      ●十傳より→お女性嫌いとは言っていないのであります。

    • それはそれは…失礼いたしました。

      でも、ハイジのおじいさんも、実はお女性好きだったりして。
      書いてないだけで。

      ギャンブル宝典の十傳’s BARに、同級会でしたっけ、お盆にあるって書いてありましたね!
      楽しそう。いいなー。

      ●十傳より→半玉さんを数人そろえて、料亭でヤルそうであります。「赤上げないで白下げて」とかヤルのでありましょうか。

  3. 結婚線て、ピシーと1本だけ!の人っていますか?

    ●十傳より→はい、私メのがソレでありますです。

  4. 私は、両手クッキリ2本。上が深いです。
    当たりますでしょうか?

    ●十傳より→二本平行ってのは、その二本の間隔が二ミリ以内という要件がありますです。

  5. 先生のが一本だけなんて・・・???
    あれってセイコウの量も関係してないのですか?

      ●十傳より→研究すべき課題ということありましょうか。どういう屁理屈をつけられるのか…。

  6. 先生、何度も出てくる『濁情』とはどういう意味でしょうか?
    何となく雰囲気的にはこういうことだろうな…というふうには思いますが、
    仏教用語か何かでしょうか?
    辞書で調べてもわからなかったものですから、
    お願いします。

    ●十傳より→そりゃ辞書にはありませんでしょう。私メの「愛」とか「欲情」を意味する造語でありますから。濁った情愛、「濁情」、…気にいってますです。

  7. 右と左とどちらの手で見ますか?
    お祈りをするときのような、指を交差する手の組み方で、親指が上になる方で見るとか聞きますがソレは何かありますか?

    ●十傳より→利き手とは反対の手を主にした方がイイかもでありますです。

  8. 有難うございます。
    造語でしたか…
    体験者さんにはグッと伝わる言葉かもですね。
    絵の月丘の縦線が運命線と合流しているパターンは濁情とは別物ですか?

      ●十傳より→相手の熱情によって自分の濁情をきめる傾向が強いタチかもですね。

    • 有難うございます。
      相手によって自分の濁情をきめる
      一見、謙虚そうに感じますが、
      意地悪な見方では、計算高そうな感じですね。

        ●十傳より→私メが言っているのではなく、手相学がそう論じているのであります。