2013
01.23

PCが不調になり、まずは復活したのでありますが、、いちど不具合が生じたPCはいずれは大きなトラブルを起こすモノであります。

その予兆といえば、仕方ないのでありますが、いまにも雨が降り出しそうな午後、ビックカメラに出向き、新しいPCを購入したのであります。

そしていま、新しいPCを前にして、いささか自己嫌悪気味なのであります。

おもえば、愛犬のゴウか死んで一週間もせずにイタグレのロメオを飼うことにしたのでありました。
セラーが死んで、やはり10日後には、チャイクレの、ジョルノを飼ったのであります。

人でなしというそしりを受けましたが、そのときは愛犬に死なれた穴のあいた心を埋めるために、次なる犬を飼うことで対処したわけで、それはそれで、自分としてはいたし方ないことであったのであります。

が、愛用のPCの不具合があっただけで、新しいPCを購入する自分の冷酷さに、ちとたじろいでおりますです。

もう10年前のことです。
美人のアシスタントをクビにしたことがございました。
美人なので、男からモテモテで、無断出勤が度重なり、それで辞めてもらったのであります。
しかし、首にするときの罪悪感は尋常なモノではありませんでした。

その時と同様の気持ちが、新しいPCと、いままで頑張ってくれたPCを並べてみて、ふかく気持ちに突き刺さるのでありますです。

「どーせ、わたしは使い捨てよね」
と遠い過去からのお女性の声が聞こえてまいります。

いやいやお女性という生身の人間の心に対しては鈍感なのに、PCという無機質なモノに対する気持ちは、思いのほかデリケート。

販売員の、若造君の説明を上の空で聞きながら、
自分の冷酷さに呆れるばかりなのでありました。

「すまなかったなぁ」と心でつぶやくばかりであります。
「お前さんの気持ちが分からなかったよわけじゃなかったんだよ。しかし、勢いというものがあってねぇ」
と弁解はするものの、しだいに新しいPCの可能性に期待する気持ちを抑えることも出来ないのであります。

次の恋愛は?
みたいな期待感であります。

しかし、PCも10万円以下で買えるようになったのは、ちと嬉しいのであります。

  1. 女房が死んだら新しいのをと、心に決めております。死ななくても2、3人変えてる羨ましい奴もいますから。

    ●十傳より→死ぬのを待っていたら、それは時間を粗末にすることかもしれませんです。先に死んでくれるとは限りませんし。

  2. いつまでもなくなったものを憐れんで次へ進まない人へは「新しいのを手に入れればいいのに」と助言する人もおりますね。
    その場合は立ち止まっている人に対して「ウジウジした奴」という称号を授けるようであります。
    どう転んでも、難癖をつけたい人はつけるのでしょう。

    ●十傳より→時間は前にしか進まない。これをリアルに受け止めなければならないのかもしれませんですね。

  3. 安いPCより、今までの壊れたPCを懐かしむ時がきそうですね、慣れより性能の方で。

      ●十傳より→98ノートでないと作動しない大切なソフトもあるのであります。おんぼろ98二台を、それは大切に扱っておりますです。