2013
02.17

「マリちゃんとどーだった?」
なんて、不意ふちをくらって、酒にむせる演技などをするのでありました。
「やったんでしょ?」
お女性はニタニタと笑うのでありますです。

「いちど飲んだかな?」
と相手の出方を読もうとするのでありますが、
「とぼけたって無駄よ。だって聞いたもの、本人から」

男同士では、若いころ「あいつとヤッた」とか自慢げに宣言したりすることはございました。
が、その宣言はたいていはホラでありまして、「よーし、それならオレも!」とごり押ししてみて、それが嘘だったことが分かったりするものであります。
が、「ほんとに嘘か、ホントにあいつとはヤッてないのだな」
としつこいほど念を押したりして、だんだんと男の話が本当なのか、はたまたお女性の否定を信用すべきものなのか分からなくなったりして自滅するものでございました。

どっちでもイイのですが、男の体験話は信用には値しませんです。

ところが、お女性というヤツは、友達同士でたとえば、
「あなたにだけ話すけど、オノさんとヤリまくったことがあるのよ」
などとリアルに打ち明けるというか、愉しむ習性があるようであります。
「それじゃぁ、わたしとマリちゃんは」
「さお姉妹!」

こうして、さお姉妹関係を自覚すると、心が快楽のみに切り替わるようなのでありますです。
「ヤッてよ」
とせがむのでありますです。
「クロスしてよ、マリにヤッたように、わたしにも」
「どこまで喋りあったんだよ」

「クロス、クロス」とせがむお女性をベッドに残して一休み。

「この世の見納めにクロス殺法をおみせしよう」
とおマリさんに、眠狂四郎を気取って、おもむろに始めたものでありました。
全身を波打たせるまでものの一分もかかりませぬ。
つづけざまに、さらに秘剣ダブルJのポーズ…。

「あっ、マリちゃんのこと考えているな」
と、のばした手のひらのなかでの私メの変化を、かってに解釈するようなのでございますです。

お女性の嫉妬というものを死ぬほど体験している私メに、は、このゲームはなかなか慣れることはないかもしれず、けれど白昼に、ふとざわざわとした異常な興奮に見舞われることもないとはいえませぬ。

「ナッツにどこまで喋ったんだよ」
と、さお姉妹のマリさんに尋ねたくなったりいたしますです。

さて、内容と画像がかみ合わないかもしれませんですね。

けれど、私メにはピッタリとするのであります。

お女性の友情というものはエロいものでありますです。
秘密をネタに楽しめる習性を羨むばかりでありますです。
そして、そのご友情を破壊したくもなる残酷が心に芽生えたりいたすのであります。
森山良子が「ざわわ」と歌うたびに「戦争をしろ!」と叫びたくなるように。

  1. 笑。笑。笑。・・・まるで中学生ですね!

    ●十傳より→心は成長せず、肉体だけが熟れゆくのでありましょう。

  2. 「ざわわ」という泡盛、けっこう美味しいですよ。
    機会があったら飲んでみてください(笑い)

    ●十傳より→ソレを飲みながら、間もなく始まる中国戦線では、お笑い芸人のだれを最前線に送れば笑えるか議論したいものでありますです。

    • 『真の一発屋芸人は誰だ?!』でございましょうか・・・。

       ●十傳より→サダト容疑者や加藤トモヒロ殿にも、人選のテーブルに着いてもらいたいものでありますです。私メはお笑いで笑ったことはなく、むしろ戦争本能が刺激されて困ってしまうのであります。「ざわわ」のみならず手塚治虫や宮崎の一連のアニメをみたときのように。

      • ヨコからすみません。

        私は小野先生より寛容のようで、ざわわ♪と宮崎アニメは堪えられますが、最後に愛は勝つ~♪という歌は、どうしても我慢なりません。
        結婚式ソングと言われるものは皆、偽善の匂いがします。

        ●十傳より→歌に国境はないとか適当なことをほざき、断りもなしに他国の歌に酔い痴れる日本人は、海賊版を平気でつくる中国人と同じであります。歌と漫才とスポーツに禁止令が出たら、さぞやスッキリすることかと、そういう世の中を夢見ているのでありますです。

  3. 愛人クラブ、援交が流行った時代、お客(ジジイ)をターゲットに情報を
    仲間と交換してる女のコたちの番組を思い出しました。

      ●十傳より→男の性情を肴にして「ああされたでしょう」とか「こんな趣味の持ち主だよね」と酒を飲み交わしているのでありましょか。充実した、妙に興奮する時間かもしれませんですよ。

  4. 実の姉と妹と両方付き合い、どちらかと結婚するという男性の気持ちは、「俺は両方とも知ってる」という優越感になるのでしょうか?聞いてみたい気もします。

    ●十傳より→それは姉妹丼の範疇になりますゆえ、優越感というよりも背徳の悦びに近いものかもしれませんです。