04.05
つい先日まで春のかおりを漂わせていた梅は、ちいさな実をつけているのであります。
かりに結婚が恋の結実だとすれば、それ以外の濁情は、別れというサダメから逃れられませぬ。
生涯に経験する濁情の数は、そこそれぞれでありましょう。
けれど、そのほとんどは別れという運命を刻印されているわけであります。
風に吹かれて散るような濁情ならば、美しくもございましょう。
気持ちが通じなくなったから別離するという単純な関係は、美しい思い出にもなり得ます。
ところが年齢を重ねると、性格的にはソリがあわないのに、肉体的に絶妙な相性というものを体験してしまうのでございます。
心では相手を否定しながら、おセックスでは尾骶骨がむず痒くなるほどの悦楽を共有し合う関係は少なくないのでございますです。
別れても逢い、逢えば激しい陶酔に爛れ、また別れ、しかし、逢わずにはいられなくなるという関係でございますです。
「わたしを振って…!」
ついには、こういう悲鳴を上げてしまうのであります。
自分からは別れきれないための捨て身なのでありましょう。
嫌いになるために、憎むために、相手の落ち度を無理やり拾い集めては、怒りの炎を燃やすようになるのかもしれませんです。
濁情は、いつかは決別しなければならない傾斜したステージとも考えられます。
結婚という社会的に結ばれた関係だとしても、離婚や死別など、やはり別離というサダメは見えてはおりますけれど、その別離に至るまでの精神的な安心感は、濁情とは比べ物にならないものであるはずであります。
ひとつの濁情から逃れるために、別の濁情に身を投じても、それは逆効果だったりいたしますです。
散る花は、散っても花なのであります。
それが濁情者にとって、ゆいいつの慰めにもならい慰めの報酬とも言えるのかもでありますです。
世間様に公に出来ない恋愛は
お互いを求める気持ちは強いものですが
何度愛を確かめ合っても
そこにはいつも悲しみがあります。
「明日にはもう逢えなくなってしまうのではないか」
という不安から
二人でいる時間は、一分一秒でも惜しいものです。
それでも、遅かれ速かれ花は散ってしまうのですね。
遅くなりましたが、ショップのリニュ-アル
おめでとうございます。
「口づけはご遠慮ねがいます」
と書いてありましたが、
アダムとイブの時代から、女性というものは
ダメと言われた事をやりたがるものです。
気が付いたら先生の唇は腫れているかもしれません。
●十傳より→タクワンなどのカスを歯の隙間からせせりだしてからにしてくださいまし。
結婚を解消 した時の実に清々しい安堵感、幸せを感じます。が、それに比べ失恋はどうしてこんなに病むのでしょうか…でもそれでイイとも思います!
●十傳より→それでイイのであります。病むことも濁情のフルコースの一つでありますれば。
あえて濁情の関係にココロをゆだねるふたりもおりましょう。日常を共にするよりも、点で結ばれる方がシアワセだと、暗がりでニヤリと笑い合う背徳の共犯者という自覚をもって。
●十傳より→精神面のズボラと、少しの経済性が背徳を楽しむ裁量かもしれませんです。
賛成。背徳なくしては人生潤わないですし。楽しみましょう~!
●十傳より→その向こうに盆栽の境地があるのでありましょう。
しめに盆栽。順番的にはいいですね~!
●十傳より→陶芸でもよーござんす。美は濁情にあり。
肉体的に絶妙な相性とは、複数人と交わらなければ比べられませんか?
●十傳より→肉体の相性は育てられるものかもしれませぬ。気づいたときはヤバイということに。比べるのではなくて、比べようもなくなってしまうのでございますです。
年を重ねてからはマンネリ化し性欲も激減するのに、育てていくとはスゴイです。
只今開発中!だった若かりし頃となんら変わらない勢いがあります。
●十傳より→真心からのサービスこそ、マンネリを打開する方法かも、でありますです。一期一会でありましょか。
「一期一会」でおセックスとは。確かに、、、「天国行き」となるのでしょうが、
笑いたいけど笑えない、微妙な年頃になりました。
●十傳より→微妙なお年頃なうちは、まだまだでありますです。天獄の感涙にむせぶことは十分に可能でございますです。
今生の天国か?ホンマもんの天獄か?ホンマもんが優勢の兆しですから、年を重ねたら一期一会で励みたいと思いました。
●十傳より→ひたすら相手を天獄へと誘う意識があれば、もはや達人かと存じますです。
成長なんて打ち止めかと思っていましたが、世の中スゴいヒトに当たれば、オノレの未熟さと貪欲さに驚きます。
学習の余地がまだまだある分野…復習がおぼつかないのですが、やはり繰り返しが必要ですね。
●十傳より→眠っていた官能を起こされ、生理が復活したというお老婆も多いのでありますです。イイことは反復しなければなりませぬですよ。