09.02
まるで悪しき事かの如く、かようなニュースがございました。
『「ギャンブル依存症」の疑い』だどだど。
「依存症」と聞くと、私メのハートはどこか苛立つのであります。
いぜん40代の淫乱お女性から「オノさんはセックス依存症だ」と、そのURLまでくっつけられたメールが届いたことがございますです。
読みますと、健康な男は誰でもセックス依存症にひっかかるというお粗末な情報でございました。
「わかったふりなどしやがって!」と即座に抹消いたしましたです。
が、そのネタはanan血液型特集でしっかり使わせてもらいました。
で、依存症とは何を以て依存症となるのか知りとうございますです。
ギャンブルは人生の失敗を学ぶ、じつに有意義なものなのであります。
ボロ負けして、一日分の働きで得たバイト料を15分もかからずに巻き上げられたり、帰りの電車賃も奪われてしまったり、そういう小さな経験は、人生での大きな失敗を防ぐ役割をいたしますです。
そして、それは、それこそ依存症にならなければ得られないモノなのであります。
では恋愛依存症は許されるのか。
これはじつに迷惑なことであります。遊びだと割り切っていたはずの濁情なのに、いつしか愛とかいう気持ちの悪いものに犯されて「愛されてない~」と大騒ぎされる始末。
そして平和依存症ならもう表彰されるのでありましょうか。
依存などという分かったような言葉ではなく、キチガイとすればイイのでありましょう。
ギャンブルキチガイ。恋愛キチガイ、セックスキチガイ、平和キチガイ、仕事キチガイ、万引きキチガイ、煙草キチガイ、麻薬キチガイ。そして占いキチガイ。
ひとつの事に没頭しなくて、何が面白いのでありましょう。滅茶苦茶になれるから楽しいのであります。
他人の迷惑になるから素晴らしいのでございますです。
この世に、タメになることなどなく、あったとすれば、それは実にチンケなものに過ぎませぬ。
おとなしくしていると西城ビデキになってしまいますぞ。
男性が女性の躰を求めるのは ごく自然な行為だと思います。
それが週1であろうが毎日であろうが 男性としては健全な行為で
それを受け入れるか 受け入れないかは女性側の判断よるものだと思います。
また私はギャンブルをしませんが
この間 先生に電話鑑定していただいた内容の兄ですが
(わたしでさえウッカリ忘れていました事故の件、先生の鑑定にビックリです )
何年も前からパチンコにはまり相当な借金を作ってしまい
一時はどうにもならない程 生活が苦しくなりました。
私も都合がつく時には 10万、5万、7万 ・・・ それから毎月1万~2万
と出来る限り 兄に援助をしてきました。 (私の懐スッカラカン♪~)
今やっと生活が落ち着き、借金も少しずつ返済しているようです。
パチンコで大きな借金 と愚かな行為ではあったかもしれませんが
人生は1度や2度、何か大きな間違いを起こすものなのかもしれません。
私も、ナンでもカンでも カタズケテしまう 依存症という言葉はあまり好きではありません。
兄は依存ではなく、ただ欲をかいたのです。
●十傳より→ギャンブルで本当は大損をする生年月日でないだけに、ツキが連続した時の、あの神がかりになったような高揚感を忘れられないのでありましょう。そして、運命はしばしば面白い逆転劇を与えてくれるものであります。ギャンブルで損をした分より、はるかに大きな幸運を差し出すなど。その差し出された手のひらに乗るかどうか。そこで人生は決定されるようでもあるのであります。
小野先生、依存症とかっていうのは「自分たちはマトモなのよそれ以外はよくないなのよ」という思い込みの発想からの産物かもしれませんですね。ならばやはりキチガイの方が正解でありますですね。先生の授業の御蔭でキチガイのほんとうの価値を知りつつある今日この頃でありますです。
●十傳より→キチガイは最高の賛辞なのであります。
全ての深刻なふりをしているはた迷惑な物事に「キチガイ」をつけるとなんとまあ
見ても頭を害されなくなれるものですね。キチガイはすばらしいです。
つまらぬまともに愉快なきちがい、いずれもマヤカシわらわにゃそんそんですね。
●十傳より→キチガイ音頭でもつくって東京オリンピックを失敗させましょう!
辛島先生のタロットでは裁判の女神も節制も星も聖杯のクィーンもホステス・・・
●十傳より→ホステスさんに対して何か抵抗でも…。
よく女性誌の占いで「幸せのおすそわけをして」という言葉を鵜呑みにすると偏印の女の子に
身ぐるみはがされてしまいますよ・・・
●十傳より→やはり四柱推命についての認識がどこかねじれているような気がいたしますです。
運動バカは賞賛されるのに、文科系熱中組は「オタク」と言われ、差別されるのが釈然としません。
●十傳より→スポーツで有名になる学校にだけはなりたくありませんですね。