2016
09.17

現代は身旺の時代と、易者の一部では言われておりますです。

四柱推命で見た時に、生まれ日の十干が、地支から支えられているものを身旺と申します。

「オレ、オレ」と自己主張が強いわけでして、押し出しの強いタイプが、いまの世では活躍できる意味であります。

私メは意見やアドバイスを嫌いますから、アシスタントを高く雇う条件として、「けっして提案は言ってはいけない」と、口封じ料金も入っているのであります。

身弱のアシスタントも、これは相当に辛いと見えて、つい「こーしたらいいのでは…」と提案してしまうのでありますが、すべて黙殺。
ものごとは多くの人たちの意見を聞入れることが大切だという世間の常識は通用しないことにしているのでございます。

まぁ、それはそれとして、身弱のお方は、身旺のお方と比べ、依頼心が強いとされておりますです。
ですから提案についても、自分を認めてもらいたい気持ちが潜んでおるのであります。

たとえばプレゼントにしても、身弱の人は悲愴な気持ちでプレゼントをするのであります。
それを「おお、ありがとう」とだけで済ませてはなりませぬ。
なにしろ、自分が困った時はお願いしますね、という気持ちで、泣く泣く高価なものをプレゼントするわけです。
「贈り物をするのが好きなんだね」では恨まれます。
「お礼をしなくては…」なんて、心にもないことを言ってあげることで身弱のお方は安心するのでございます。

こんなことを四柱推命の講義で語っておるのであります。
10月からの卒論科はもちろん、初等科でも人間のタイプを占い独自のカテゴリ分けして語るのでありました。

十傳スクールもスタートから四年。最初の講義では語らなかったことも語っておりまして、一年目の受講生がたまたまその場におりまして「ズルイ!」なんて目を丸くしておりました。

さぁ、本日も講義です。
神田の教室へと向かいましょう。

2016
09.15

靴が落ちていました。
不気味であります。
主に捨てられた靴は、これからどーなるのでありましょうか。

今日にいたるまで、靴は主の足を守りながら、いったいどういうところを歩き回ったのか。

主は、いまごろは新しい靴を履いて、どこかを歩いているのでございましょう。

夢占いでは靴は女性器の象徴とされております。
「なーるほどねぇ」
と、つい見とれてしまいましたです。

あまり長く、捨てられた靴を眺めていてので、幾人かの通行人が怪訝な表情で通り過ぎていきました。

シンデレラのお話も、そう考えるととてもエロいモノであります。

運命の女性器を探し求める王子様の物語でしょーか。
深夜の十二時の鐘が鳴り終わると、すべての魔法が解けるのに、ガラスの靴だけが残されるということも、なにやら意味深でございます。

嘘や作り話のなかに秘められた男と女の真実っぽいヤツが、路上に捨てられた靴から思い出されるのでございます。

季節は秋。水道の水が冷たく感じられます。
ちと、考えに耽るのに、ちょうどイイ季節かもしれませんです。

2016
09.12

10月開講決定の、四柱推命卒論科の、最終の講義メモを取っているのでございます。

どこから取っているのか。
私メの頭の中からであります。

例題として挙げている命式を、細かく再検討し、どこで、どう言おうか、いわば講義の台本なのであります。

四柱推命は、じつは、それほど難解ではありません。
コツさえ掴んでしまえば、これは一生の財産として有効であります。まぁ、時代にそった鑑定はしなければなりませんけどね。

難しいと思われているお方は、固定観念が邪魔をしているのでございます。キーワードを抑えつつ、大胆な仮説を立てていくことが必要であります。

ただ、身近なたった一人の運勢を正確に解読できれば、もう一人前でありますが、そのたった一人の鑑定をするよーになるには、やはり例題を数多くこなすことが、唯一の近道であります。一人を完璧に鑑定できれば一万人でも十万人の運勢でも、すらすらと読み解けますです。

「ああ、そうか!」
この一言が口からこぼれるまでには、千人切りが条件。

そのための卒論科であります。
そして、そのために私メは、知っていることすべてを事細かく、こーやって、赤字と青字、黒字を交えつつメモしているわけであります。

で、卒業の後にやってくるのは、かくまで辛い人嫌いの症状なのでございますけれど。