2019
09.12
10月からスタートする「断易初等科」のテキストを印刷し、製本したのであります。
丸一日かかるのでありました。
初等科は、
「断易入門編」
「断易講義草案」
「断易における用語およびその解説」
の三つのテキストを使うのであります。
初等科としては濃縮されたものであります。
私メが鷲尾先生から教わていたころは、テキストなどなくて、すべて、黒板に書いたものを書き写すという作業でした。
それは、それでイイのですが、
「いま断易のどこを習っているのか」
「どれほどの分量があるのか」
まったく分からなかったのでした。
テキストがあるだけで、自分が、どこを勉強しているのかが分かるという利点があります。
「断易入門」で、まず断易の大まかな範囲を知るのであります。
私メは、無鉄砲にも、「断易における用語と解説」のところで、すでに、いまは無き厚木パルコで雇われ占い師として土、日曜日に鑑定をしていたのでありました。
「オノさんのは五百円鑑定だな」
と、師匠にからかわれたものでありました。
それでも断易教室に通っていたのは、実際の鑑定をすると、どーしてもお客様におもねた判断をしてしまい、そのうちにイイ加減鑑定に傾くわけでして、確固たる主軸をキープするためでございました。
さいわい鷲尾先生はキッチリと教えてくれる師匠でありました。
腹が立つのは、質問しても、バカげた質問には一切無視して答えないこと、それと、答えるにしても禅問答っぽいことでありました。
禅問答に隠された回答を体験的に知るには、五年以上かかりましたです。
自分で知るには無駄な時間の浪費。
それぞれ、
「ここはこーだから」
と講義して進めたいのであります。
今月、断易初等科の最終回の時、いままで語らずにいた、「断易上達の方法」を口にいたしましたが、今後も、断易の、「文系的」な解説とともに、「理数系的」な解説も講義に挟んでいきたいと思うのでございますです。
年齢的に、断易だけでなく四柱推命も奇門遁甲も、あと何クールできるか微妙な老域に入ってて来ましたので、ボケる前に、語るべきことを語ったおかねばならぬと、しみじみ悟ったのでありました。
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十傳スクール /
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2019
09.10
ちょっと前の画像であります。
花咲ガニをいただきまして、大きな鍋で茹でているところであります。
届いたときには、まだ生きておりまして、茶色っぽい殻が、熱湯にタプンとつけた瞬間から赤味が差してきたのであります。
ギェーッ!
断末魔の声が聞こえましたけれど、
「カニは人に食われるためにあるのだ」
むかしの仲間の言葉が浮かび、
ヨダレを垂らしながら15分ほど茹でたのであります。
毛ガニやタラバや高足ガニとかワタリガニは手に入れようと思えば、なんとかなりますですが、花咲ガニは珍しいのであります。
ゆで汁で9mmの細めのカッペリーニとかいうパスタも用意して、そのパスタに乗せながらカニを頬ばるという計画であります。
茹で上がったカニは、このとおりイガイガなので軍手が必要でありました。
足を外し、甲羅を裏返しにして尻のあたりにあるカニ子を別皿にとりわけ、あとはハサミで食べやすいように割れ目を入れれば完成なのであります。
絶品!
堪えられないのでありました。
体内に入れた、このカニの魂と身を、開運のために、皆様にお分けしようと、本日の「気のプレゼント」とあいなったワケであります。
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開運料理 /
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2019
09.08
東西線の中で思わず、
カシャッ!
してしまいましたです。
シャッター音を聞いた隣のお女性が座席を立ち去りましたです。
しかし、撮らずにはおられませんでした。
赤い造花。
赤い造花を踏みつける靴。
赤い造花を踏みつける靴をはいた男。
赤い造花を踏みつける靴をはいた男を撮る私メ。
私メも、知らずに、このよーにして何かを踏みつけ、傷つけているのではないか。
毎日、毎日、誰かを傷つけているのではないか。
傷つけよーとして傷つけているのではなく、傷つけているとは知らずに誰かを傷つけていることは、おそらく間違いない。
誰かではない。
優しい言葉を重ねながら、信じてくれている人を傷つけている。
五分間は、その言葉で癒されているだろう。1時間は、その言葉の暖かさに浸っていられるだろう。1日間は、その言葉を信じてくれるだろう。
が、1年後には、その言葉は、信じてくれる人を傷つけていることになっているに間違いはございません。
人は傷つけ、傷つきながら生きていくしかないのだと、自分に言い放つのでありますが、
「造花だから踏みつけにしてもいいのか」
さっきまで誰かを飾っていた造花の花であります。
「おい、踏むな!」
男に食ってかかっても良いものでありましょーか。
家族であれば、後ろから押し倒して、造花を拾い上げるかもしれませんですが、
「踏むな!」
と、抗議すれば、きっと、
「おかしいのではないか」
公安に突き出されるのは私メでありましょー。
男の靴の底から、造花を拾い上げ、
「この造花はどなたのですかぁ!」
声をあげれば、乗客たちは驚いて、別の車両へと逃げ出すに決まっておりますです。
「ごめんなさい、ごめんなさい。造花を踏みつけにしたのは私メではないのですが、でも、でも、私メなんです」
と造花を胸に抱いたまま、公安たちの拳銃で撃たれ、窓ガラスを真っ赤に染めて、ハチの巣にされることは目に見えておるのであります。
しかし、造花を無神経に、いや無意識に踏みつけた男に怒りを覚える、その私メの心の底には、大事な人を知らずに傷つけている同罪の贖罪があるのかもしれませんです。
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独断的恋愛論 /
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