2024
03.23

モリオカ市内に、このよーな建物が残っておりました。
朝鮮人たちの建物であります。

八幡平周辺に入植に入っていた朝鮮人が、やがてモリオカに移住し棲みついたのであります。
岩手県は、日本のチベットと呼ばれていたほど虐げられた時がございましたから、朝鮮人が棲みついても他県ほどの差別は少なかったのであります。

私メも、この建物に住んでいた朝鮮人の友達がおりました。
細い階段を上ると、部屋にそいつのオヤジが寝ておりまして、そのオヤジをまたいで、彼の部屋までたどり着くのであります。

そーです。
高校生の頃の私メは差別という意識がございませんでした。
「おなじ人間ではないか」
と接していたのであります。

それにしてもモリオカを離れて半世紀以上もたつのに、建物が現存しているのは、迷宮にはいったような妙な気分であります。

当時の自分が、そこにいるのでしないかと錯覚したくなるのでした。

朝鮮人たちは、貧しく、だから固くて何度も噛まないと飲み込めない冷麺を作り、それがモリオカ冷麺の祖となったのでありました。
その他にもモツ鍋など。

ジャジャ麺は、これは中国人が広めたのであります。ですから、盛岡冷麺とジャジャ麺を扱う店は別々なのであります。

こういう建物を壊さずに、手を入れてオヒャレな店にしたら楽しかろうにと思うのであります。

しかし、日本人は劣等意識のカタマリの民族ですから、すぐに壊してしまうのであります。

ブラブラと街はずれを歩くのは面白い発見をするものであります。