2024
03.26

モリオカに着いた初日に手にいれた大根が、こんなに短くなったのでありました。

私メは大根おろしを毎朝食します。
納豆にいれたり、焼鮭のわきに添えたり、キノコとあえたり、大根は必需品の一つなのであります。

そして使い終えたら水を張ったお皿につけておきますから、葉もおおきく茂るのでございます。

そろそろ関東に戻る日がちかづくことを知らせるよーに、大根も残りわずかとなるのでした。

生まれてから死ぬまで、心臓はいったいどれだけ律動するのか計算したことはございませんが、まさに、その心臓の脈打つ残りの回数みたいに大根は日々、減り続けているのでした。
少なくなってから、はじめて気づく残りの時。

いままで何本のタバコを吸った。何回、射精した。どれほどの量のウンコをした。通算、何時間寝たのか。まばたいた回数は、呼吸の回数は、歩いた歩数は。

数こそ、すべてかもしれません。
生きる時間と、その間の星の動き。
ひとつの恋の寿命と、月の巡回。

たくさんの命を生き延びるために日々、犠牲にして、ではいったい、自分は、何かの犠牲になってやれたのか。

幸せとか、喜びとか、悲しみとか、絶望はいったいどこから生じ、どこに消えていくのでしょう。

カラスの啼き声がしております。
飛び終えたカラスはどこで死ぬのだろう。
カラスの死体をほとんど見たことがないのはどーいうわけだろう。

短くなった大根は黙してなにも語らないのでありました。