2025
10.13

そろそろではないかと思い、涼しくもなったし、
「ちょうど良い」
遺影を撮ってもらいに写真館の扉を開けたのでした。

死んだとき、葬儀屋の係の人がテキパキと、適当な写真を加工して、遺影にしていたことを思い出すのであります。
「それじゃなく…」
と制御しても、では「どれを?」
しかし、見つからず、まぁいいかと任せしまう過去をいくつか知っておりますです。

祖父も、祖母も、また父も、心ならずの遺影となってしまったことを思い出しました。

心ならずは、遺族の受け止め方ではございますが、本人にとっても、「粗末にされてしまった」感は、きっとあるはずでございます。

で、写真館では、「ポーズを決めますから」と注文し、たとえば画像のごときポーズをとったのでありました。

遺族がなにかで困った時、私メの遺影をみて、「甘えてはいられない」とか「そーだ、アレがあるぞ」などと勇気とヒントを得られるよーなイメージなのであります。

ギャンブル誌用に、かつてカメラマンに何枚も撮られた撮影の頃を思い出しました。
たとえば、中山競馬場で、たとえばロトの抽選会場で、たとえば出版社の地下の倉庫で、たとえば事務所の書籍を後ろにした腕組みのポーズで。

死んだ後もこの世に存在したい未練はございませんが、へなちょこの写真を残されたのでは浮かばれません。
と、言うか、へなちょこ写真のために何十年も生きてきたというのでは死にきれないのであります。

撮影を終えた写真館をあとにした私メは、魂を抜かれたよーに、茅ケ崎の街をふらふらした足取りで自宅への道を歩いたのでございました。

2025
10.12

10月から断易初等科Cがはじまりました。
リタイヤの方がほとんどおらず、ホッとしているところでございます。

なにしろ断易で難しいところが断易初等科Bでしたから、その急斜面をよじ登ってこられるかとても心配していたからであります。

私メの断易は、おそらくどんな講師でも不可能ではないかと自負しております。
断易の原則を、人間の生態に重ね合わせで講義しているからであります。
たとえば、普通は切り捨てるとされている日破でも解釈に入れるのであります。
でなければきめ細かな解釈にならないからであります。

断易Cは、用語によって、いままでの知識をまとめ上げていくだけ。

ああ、あと何年、講義を続けられるのか…。
体力と気力がいつまで持つのか。

「占えばイイじゃないか」ですって?
いえいえ、そーいう問題ではないのであります。

この難解で素晴らしい断易をマスターしてもらわないといけませんです。

きわどい例をあげつつ、講義をつづける所存でございますです。

2025
10.11

どーしたのでしょーか。
ふだんはほとんどコンビニとかは敬遠しておったのですが、今朝は、
「シュークリームを!」
甘いもので口の中を満たしたくなったのであります。

さては、さては。
ここのところ、病占が続いておりまして、昨日は四件。
「死なせるわけにはいかない」
医学界からみれば、非常識だと相手にされない方法で、しかし東洋占術4000年からは、「なるほど」のやり方で、なんとしても生かす術を披露したのであります。

そのために体力を消耗し、今朝は甘い物を欲していたのでありましょー。
占いの鑑定に没頭しますと、眠りも浅くなり、ゆうべなど四度も目が覚めましたです。

そして、本日は十傳スクール。
断易初等科Cの初日であります。

シュークリームを貪り、講義に全力で挑む所存でございます。

「死なせない」の姿勢しかないのですが、本当の問題はその後。
退院後の生活なのであります。