2025
11.18

モリオカです。

到着したのはお昼前。
しばらくすると空がしぐれてきまして、雪が。

待っていました。

しずかに珈琲をたてるのでした。
すこし濃い目に。
そしてシガーを。
肺の奥まで紫煙を吸い込む、この充実感。

もはやカフェーではできない時代であります。
珈琲も、「これで700円もとるのか」と文句を言いたくなるお味がほとんど。

私メは、もうずいぶんカフェーに入っておりません。
最後に入ったのは夏前の門前中町のカフェ。
コンビニの珈琲も敬遠しております。

もっぱら酸っぱめの珈琲の粉を買い、UCCの粉と混ぜ合わせるのです。
そう。自分でたてるのであります。

金運の悪い人ほど、コンビニの珈琲を毎朝味わうよーですね。
マイボトルに自分でたてた珈琲をお勧めいたします。
浪費がとにかく減るでしょー。
「たった150円ですよ。週五日だとしても、月に3000円程度」
いやいや、コンビニに入ったら珈琲だけですむはずがございません。
旨いのか旨くないのか分からぬ中国の毒が混入している恐れのあるお菓子に手を伸ばしたりいたします。またATMに立ち寄り手数料を当たり前のよーに盗まれるのであります。

お金を貯えるには、重箱の隅をほじくる意識が必要不可欠なのであります。

まじないはその後。

雪見珈琲でありました。

2025
11.17

四肢の衰えや凝りが気になったら、医師の見立ては、
「頸椎ですね」
レントゲンで首の軟骨みたいなところが下半分が狭くなっているのでした。
経年でしょー。

悲しいものであります。

いろいろと聞かれ、しかし、職業を明かしたらヤバいのではないかと「PCに向かう仕事です」と答えましたら、ノートパソコンは問題ありということでした。

ディスクトップを勧められましたが、設定を最初からやるのはたいそう億劫です。

なので、占いの原書や支那語辞典を積んで、その上にノートパソコンを置きましたです。
ボードを別にしまして、
「悲しいなぁ」
とため息をついたのでございます。

若い頃は、首が長いのがヒヨワっぽく悩みの一つでしたが、今では亀でございます。
自転車はダメ、バスも最後部は避けること、とかとかとか。

こうなったら、ヤレルうちにヤレことをしないといけません。
時間は残り少ないのですから。

2025
11.16

大船へ行ってまいりました。
家から三つ先の駅でありますが、ここ10年ほどは通り過ぎるだけの街。
通り過ぎつつも車窓から、大船観音の白い不気味な姿だけは目にしておったのでございます。

「いつかは…」
と思いつつも、いつでも行けると足を向けたことはございませんでした。

それが、どー言うわけか、
「行ってみよう!」
発作的に、インフルエンザの蔓延する普通電車に乗り込んだのでございました。

長い階段をのぼり詰めれば、もう、そこは大船観音。

ぐるりと裏に回ると胎蔵仏が安置され、その上は納骨堂。

望みは特にはございませんでしたが、一応、手を合わせました。
多くの人たちは、金運上昇とか、宝くじ当選とか、志望校合格を祈願いたしますが、じつはそれはタブー。かえって良くないことがおきることを知りません。
べろべろと浪費したり、くるくるパーになりったり。

四つのタブーの中の一つは、コレなのであります。

ではどーするか。

たとえ今の自分が、自分が願わぬ人生の暗闇に彷徨っていたとしても、今の自分のあることを感謝しなければならぬのであります。そのよーに感謝の念を捧げよーと、神様はそれに報いる幸運を授けてくれないとしても。いや絶対に授けてはくれません。無駄なのであります。
お金がない、病気に苦しんでいる、仕事がうまくいかない、好きな人と結ばれない、何もかもが望みどおりにならない、不合格だったとしても、それらの不幸は他人の幸運の礎なのであります。この人生の理不尽を諦めてこそ、ほんのわずかな和みを与えてくれるのであります。

とおく眼下には大船の駅、その向こうには家々が密集し、山の向こうは鎌倉の街なのでございます。
そこで人々は生まれ、成長し、幸不幸の時間という風に巻かれ、そして死んでいくのであります。死はかならずやってまいります。

拝んでも拝んでも神様は沈黙しておるばかりであります。すがってもすがっても、神様は冷たい微笑を浮かべるだけであります。

「ふふふっ」なんだかバカバカしいのであります。
やはり占いだろうな。

参道をおり、ゴホンゴホンと咳込む塵芥に混じりつつ、私メは来る冬に備えて靴下を二足求めて帰路に復するのでございました。、