04.23
むかし、亡父がモリオカで写真の個展をした時に、頼まれて「草原の雑花たち」とタイトルしてやったことがございますです。
あんがい成功し、アンケートを回収したら、「雑花が気に入った」の意見が多くあり、どーやら、やはり東北の人々は自分を雑花とか雑草ととらえておる傾向が近いようだと再確認したのでありました。
雑花だけど負けないぞ。雑花だから強いのだ…というふーに。
都会の美しいだけのかぼそい花とは、根本的に違うんだおん、と。
つまり、都会の花に対する哀れなほどの羨望の裏返しなのであります。
花は女性器の原型とかんがえれば、男にとって、花の意味は変わってまいりますです。「ああ、どいつもこいつも雑花か」「雑花にフラれたくらいでメソメソできるか」「いつかは都会のかよわい花を!」
そして、都会の花を抱いて思うのであります。
「やっぱりちがう。雑花よりイイでゃ」と。
が、やがて「こいつはただの都会の雑花であった」と知ることになるのでありますです。
花の良さは美しさと香しい匂いだけではございません。何も語らないからであります。
お女性は人間ではございませぬ。
お女性は女神様でございます。
それが人の言葉で、感情を訴えだすと堕女、ダメになるのでございます。
語らぬお女性は上女、ウメとして、そのうえが神女、カメとして、女神様なのであります。ダメ、ウメ、カメとランク分けできるのでございます。
差別だと言われても、そー思い信じているから、どーしよーもございませんです。差別的だとお考えの方の考え方を修正してもらわなければなりませんです。
それにしても雑花たちがはびこりだしました。
今年も花のシーズンを迎え、数々の濁恋が醜く始まるのでありましょう。
雑花より図々しい人々の恋。みていて切なくなるほど醜いのであります。
いいえ、醜いほど真剣なのでございます。
花は雄しべがあるので、男性器の象徴でもありましょうよ
●十傳より→男性器と考えてもね、それはご自由であります。
頭に花が咲けば、かかあ天下になりますか?
●十傳より→なんのことやら。
おっしゃる通りで御座います。
しかしまた都会のなかで雑花を探し、ハンパに色気づいた花へ帰ろうとするのは、都会への恐怖からでありましょうか?
って言っても今の住まいは片田舎ですけどね(笑)
●十傳より→スズランよりダリア、ダリアよりカタクリの花というよーにでありましょう。
私が男に貢がされる原因は傷官のような気がします。水が自分の命式に無かったらすでに死んでいたかもしれないです。今年も火だから恋愛はやめたほうがいいですね。去年は本当にきつかったです。
●十傳より→その解釈はちと…でありますです。
草木が伸び薄緑色の若葉が生えるこの時期、故郷の山々がなんとも美しい
雑草である私は若い頃、美しい華やかな花に憧れ嫉妬し
そんな自分がキライでした
それでも ある程度の年齢に達した時、自分を他人と比較することを止めました
雑草でもいいのではないか
高価な薔薇やユリ のように 「オオ」という美しさはなくても
素朴な 雑草でも良いところはあるのではないかと
図々しい醜い恋
真剣だからこそ、深い想いがあるからこそ何も言えない恋もあります
●十傳より→高嶺の花を手に入れよーと、男どもは競い合うのであります、永遠に。
本当に誰か好きになって 認めて こちらを見て と 主張したら ダメですよね 一人でしておけば良いですよね 想いは
●十傳より→好きになるというパワーはすさまじいモノでありまして、下手をすると暴力的になってしまいますです。難しいのであります