2021
07.06

明日は七夕さんですね。
七月七日で、本来は旧暦ですから、お月様が三日月。
でも今年は新月の近い二十八夜なので、晴れて空が澄んでいれば、天の川を仰ぐことが出来ることでありましょう。

幼い頃は、モリオカでも手が届くほど近くに天の川が夜空に広がっていたものであります。

七夕は奇数日が重なる五節句の一つでして、邪気払いの一つでございます。
「七」は「亡」に似ておりまして、ダブル亡。双亡というわけでございます。
私メだけの説かもしれませんけどね。

願い事を短冊に書けば、その願いが叶うという習わしもございます。
しかし、この「願いを書く」という風習が、問題かもしれませんです。

そもそも人形(ヒトガタ)とか短冊というものは、汚れを祓う儀式のためのものでございます。
それらは火で焼かれたり川に流されたりいたします。

七夕の短冊も同様でして、竹ごと、海や川に流されるべきものであります。
疫病だの穢れだの、悩みだの、そんなマイナーなことを短冊などに記すのが本来の「流し」であります。

「流」という文字も、じつは不吉でして、人の名前には用いないことが原則でありました。

以前、占いのパーティーで流トモアキとかいう老先生にそれを指摘したら、いや~な顔をされ二度と御口をきいてはもらえませんでした。

ともかく短冊には、捨てたい自分の欠点を書くべきであり、「こうありたい」願い事を書くべきではございません。しやわせな未来を流すことになりますですから。為政者としては、人々がある程度不幸な方が便利ですから、「願い事をかきなさい」と奨励したのだと、私メは確信しておるのであります。

では何を捨てるか。
私メなら「煩悩」と書くでしょーか。まさかね。
貧乏とかバカとか下品などが良いかもです。あるいは嫌いなヤツの「恋愛成就」とか。

でも七夕の夜に、たまにするおデートはよろしいと思いますですよ。

  1. 田舎の七夕は川に流してました
    むかし子供のころです
    6月にやってたような記憶が…

    ●十傳より→地域的に色々なんですね。

  2.  小野十傳先生・そういえばパワーボックスも明日以降に西に配置を換えるようにでした。
    十傳先生のお話は、実はルーツから1ミクロンもぶれることなく、誰に聞いても、当てないわけがない占い師のカガミのような先生ですと、お聞きします。つまり、全てホントに知っているホンマモンの占い師さんなのですよね。

      ●十傳より→期待はずれかもです。

  3. 先生、短冊には願事を書いては駄目なのですね。欠点を書いて流すことが本来なのですね勉強になりました。七夕まつりでは多くの願い事が流されるというのは怖い話と感じました。七夕の短冊に願い事は書かないことにします。

    ●十傳より→すべての常識と言われていることを見直すことも必要であります。

  4. 断捨離したい人間関係の相手の名前を書いて
    トイレに流したらいいのでしょうかね?

    ●十傳より→ウンが付きそーでありますね。

  5. 気が付きませんでしたが明日は七夕だったのですね
    織姫と彦星
    恋しくても愛し合えない二人
    でも、年に一度は逢える、必ず逢えることができる
    私からしたら お二人が羨ましい
    短冊の「捨てたい自分の欠点を書くべき」
    意外な真実に驚きました

      ●十傳より→単なる星ですから。

  6. 納得です。 どうしようもない連中がのさばるのを、予防していたのかも。

      ●十傳より→のさばりすぎですね。

  7. 七月七日も三月三日の桃の節句も人形(ヒトガタ)に心身の穢れ移し
    水に流して浄化させる払いの神事が発祥なのですね。
    古来日本人は不浄を嫌い、ここぞというときには精進潔斎して自分自身や
    周囲を清めてきました。
    ここ数年日本は海外に開き過ぎていました。もう一度鎖国で国を閉ざし
    国民も土地も一切合切浄化したほうがよろしいと思いますです。
    で、浄化の方法は、、、
    先生どうしたらいいか思いつきません。

      ●十傳より→浄化しすぎて何も残らなくなったりして。

  8. なんで七夕って願いごとするの?とのネジ抜けてる女子に聞かれました。
    太極陰陽から明治以降の暦の違いなど表面サラリと説明したところ、アタマぶっ飛んでるねっと言われました。新鮮だったのでしょう(笑)
    感染者うなぎ上りですね、これでオリパラするの?やはり、薩長に尻尾振った所の人は考えが違いますね。ますますオリパラ失敗の確率上がってきました。どうか失敗しますよーに。

    ●十傳より→嬉しくなってきて高笑いが止まりませんです。秋田県は美男美女揃いだというのにね。

  9. 古くからの行事や物事は旧暦で行うほうがしっくりきますね。
    ただ、日本の伝統とされているものの多くが明治時代以降となっているものも多いですね。
    やはり、常識は一度、疑ってかからないと危険ですね。

      ●十傳より→薩摩の大久保のためにおかしくなってしまっておりますです。