2011
04.25

ようやく従弟の家の一階部分の瓦礫は撤去できたのであります。

ここで従弟のお嫁さんと三人の看護婦さんが死んだということであります。

けれど、まずは壁紙を貼ったりすれば開業はできるとのこと。
イイ忘れましたけれど従弟は医者なのであります。

が、瓦礫を撤去しても、ガスも水道も電気も復旧していないのであります。

開業医だとて甘えてはいられないのであります。

家の周囲はこういう惨状。
従弟の家をどんなにキレイにしたところで、電気もガスも水道もダメなのであります。

従弟は近くに診療所を借りる算段がついたと言っていますけれどなにかが違うのでございます。

そういうことをしている場合ではないような気がするのでありました。

自分の家だけの瓦礫を撤去しても、なんにもならないのであります。
こういうときには公民館などに避難している人たちに対してすべきことがあったのではなかったかともおもうのであります。

この数日、私たちがしてきた作業は無為だったとも思えるのでありました。こういう時は原始的な人の結びつきを優先すべきだったような。

終わったなぁと思うのであります。
諦めともつかない気持ちであります。が、この一種の終末感は、まだ若かったころから知っていたどこか懐かしいおもいもするのでございますです。

ありゃりゃりゃ、これは恋とおなじような気持ち。いずれどの恋もおわるんだよなぁ、という気持ちとどこかで結ばれている諦観とでも言いましょうか。

釜石からモリオカへと向かう二時間ほど、私たちはおもえばひとこともしゃべらないのでありました。
通い慣れはじめたこの道も、ふたたび疎遠な道になるのでありましょう。

  1. 本当に酷いですね。電気とガスと水道がないお家は女の子が小さい頃にお世話になった「シルバニアファミリー」
    ではありませんか。三人も看護師さんもお亡くなりになられたとは・・ご冥福お祈り申し上げます。
    ご生前は開業医だった方の「古塔祈り」を思い出します。
    北フランス旅行の年、1998年7月より5ヶ月たらずの間に、妻、義弟、義母、と3人が相次いで逝った。
    溢れる哀しみを越えて、愛が生まれ、愛が優しさとなって、幸せを生む。
    幸せが多くの人に伝わるように、ノルマンディ旅行の個展と小画集を夫々の霊に捧げます。○○画伯
    文章を全て書いてみました。
    オノ先生が思っていらっしゃるような思いは深いですね。

      ●十傳より→しかし私としては大切な体験となったのでありました。

  2. 本日は物置小屋の後片付けですか?
    色々なお宝が次から次へと出てきて作業が中断しそうな予感がいたします。

      ●十傳より→いかにもです。座り込んで思い出の品々にひたっておりました。

  3. 釜石に行かれたんですね。ブログを拝見させて頂き、あれ?どこだ?と、思ったら釜石でびっくりです。

    私は山田町出身なもので。。。

    心よりご冥福をお祈り申し上げます。

    ●十傳より→釜石はまだ廃墟なのですが、山田、大槌は町の形すら失われておりました。薬王堂やホーマックの建物も近寄らないとわからないという有様でした。

  4. 従弟さまの家の瓦礫の撤去を最優先にしたことは、ベストな選択だったと思います。
    あたしの両親は二人とも救急車で運ばれ入院した後に亡くなりました。が、その様な両親の最期であっても1年位は救急車のサイレンを耳にするとフラッシュバックを起こしたりしました。従弟さまのお嫁さんと三人の看護師さんが亡くなられ発見された(?)場所…。証拠現場を保存してあるかのような瓦礫を毎日目にする従弟さまの心情を察すれば、瓦礫撤去は何としても早急にやり遂げる必要のある行為であり、『なんにもならないのであります』ではありませんでした。
    先生、Good Job!であります。お疲れ様でした。
    バスの旅は、エコノミークラス症候群にお気を付け下さいませ。
    足長さんは特に危ないでありますですよ。

    ●十傳より→バスの旅行はもうコリゴリであります。発狂しそうになりました。