2015
12.22

むかしは冬至だからといって、格別なことはいたしませんでした。

しかし年齢のせいでしょうか。冬至の日は柚子湯に入って…。
これを実践するよーになってしまっています。

するとお湯の温かさが、お女性の肌のように、体内に沁みこんでくるんです。柚子の香りもなかなかであります。

四個というのがショボイのですが、しかし、これでも十分。

ホント、老いてくると、そして冬になると少女が欲しくなりますです。一人では足りませぬ。
背中から温めてくれる少女と、抱きかかえて胸やら腹部を温めてくれる少女。けっしてロリコンというのではありませぬ。

でも、ギャーギャーわめく少女はダメ。
唖の少女がイイかもしれませんですね。

もうひとつ、冬至にカボチャは欠かせませぬ。
ちと塩辛くなってしまいカボチャに申し訳ありませぬ。

洗髪し、カラダもサッパリした直後のカボチャは美味いのであります。

肉は風呂の前に、野菜は風呂の前に。
これが美味く味わう隠れた秘訣であるようです。

明後日はイブ、そしてクリスマス。大晦日となだれこみ、一年中でもっとも夢のある一週間カモしれませんですね。
実際はなにもなくても。

2015
12.21

今年も、自作のキリスト誕生の馬小屋を飾りました。

オノ家は、家訓がございまして、「他宗教をなかに入れるな!」が、その一つであります。

とは言いながら、毎年、ツリーを飾っていたものであります。
キリスト教は遠すぎて、心に入る余地がないと祖父はタカをくくっていたのでありましょう。

日蓮宗とか新興宗教には絶えず用心しておりましたが。

ところが、今年の一月に死んだ伯母が、若い頃に、こともアローか、耶蘇教を信じ出したのであります。そして藤沢の修道院に家出したのでありました。

当時、オノ家では二階の一室に大学生を住まわせておりまして、その学生と伯母が恋仲になったのでありました。祖父も祖母も大反対。「まだ一番上の姉が嫁いでもいないのに」が理由でありました。

伯母が修道院に家出した理由は、そういう親に対する反発でありましたろう。

可笑しいのは、修道院側で「あなたはキリスト教に向いていません」と追い返したことでありました。

幼いころ、クリスマスが近づくと、黒石野にあった修道院に伯母が連れて行ってくれたこと。
修道女たちから発せられる、女臭さに辟易とした記憶がございます。

今年もイブが近づき、お女性たちは老いも若きも、ソワソワとしていますですよ。嬉しいようでいて、自分が孤独であることを自覚するのを恐れているのでありましょう。

申し遅れましたけれど、私メはイブの夜は犬と過ごしますので、悪しからず。

2015
12.20

生まれて初めてのことが、まだあるモノであります。
バラをプレゼントしていただいたのでありました。

ほとんど反射的に頬が赤らんでしまいました。

イイものであります。

お女性から「バラの花の一本でもプレゼントされると嬉しいんです」などと言われたことがございますが、ははーん、この甘い気持ちにひたるのだなと、納得してうなづいてしまいました。

帰りの電車の中で、駅に停車するたびに、バラは思い出したよーに香りたち、子猫みたいにやわらかく私メのかたわらに寄りそっておりました。

自宅で包みをほどいて水をやりましたら、艶やかさを増して、夢見るように咲きながら殺風景な部屋を飾ってくれるのでありました。
その向こうには楕円の月が。

ようやく、しやわせカードの作成が終了し、ホッとして、快い眩暈に遊んでおります。
「来年度の作成は無理かもしれない…」
などと考えては、「それでも作ってしまうんだろうなぁ」と自分の習性を諦めてもおりますです。

そろそろ本格的に来年度の講義の内容を計画しなければなりませぬ。

けれど、今夜はバイオリンの曲などに耳を傾けながら、バラに包まれたいのでございます。