2018
04.20

最初の師匠に、はじめて褒められたことがございます。
「オタクは素質がある!」

常套句だと疑いつつも、嬉しかったのでありました。

「選挙の投票なんて小学校の頃からしたことがありません」

この言葉にたいするお褒めでありました。

政治家は汚職をするために立候補をするのであるから、それに付き合って投票するバカがどこにいるか。
汚職もしない清い政治家ならば、さらに恐ろしいバカだ。
汚職をして身内を儲けさせずに国民を守れるか。

師匠はひとしきり興奮して語るのでありました。

私メが、はじめて住処を得たと感動した瞬間でありました。

テレビなど信用するな、あんなものは嘘の塊だ。偉そうに!
週刊誌も娯楽なんだから、読むだけバカになる。そもそもテメェに関係のあることがちょっとでも書いてあるか。

清らかな泉が湧き出す心地よさでございました。
それまでの私メときましたら、自分は間違った考えの持ち主だと思い込んでいましたから、どこか意固地で委縮しておりました。

海外旅行の目的は、男は売春、女はショッピングなのだ。
そこの高学歴! すました顔で聞くんじゃない! 出ていけ!
オタクの向かうところは、この教室ではなく新宿駅だ! ホームから電車に飛び込んでしまえ!

師匠は、まさに代弁者でありました。
寸暇も惜しんで運命学にのめり込んだのでございました。
つい昨日のことのよーであります。

最近のバカ報道を観察しますと、運命学と照らし合わせずとも、まったくのバカ丸出し。つられて騒ぐバカ者たち。おそらく選挙当日には朝早くから投票しに出向く世間知らずどもなのでありましょう。
新聞の一般人の投書に目をやりますと、希望のある政治を望むとか、クリーンな政治はどこに行ったのかとか、政治家は真実を語れとか、
「80歳にもなって、そういうことも分からないのか」
ため息が出たりもいたします。ドロップキックをかましたくなりますです。

セクハラとかパワハラ、喫煙、不倫などなど、いちいち大騒ぎしますから、それに関する法律ができ、ますます住みにくい世の中になってまいりますです。

やかましい野党どもを拘束し、即日処刑し、またすべてのテレビ会社をぶっ潰し、政治ネタを語りだす芸人どもを打ち首、オネエ気取りの不埒な輩の額に刻印を押し、オリンピック開催を返上するようなことがあれば面白いのでありますが…。バカは生き残りそうでありますね。

2018
04.19

黄身が二つある卵でございました。
即席トムヤンラーメンに落としたとたんに、
「oh!」
水着からこぼれるオッパイのよーでありました。

…これはセクハラではありませんよね。
「お前の乳房のよーだ」
だとセクハラでございましょーか。

運命学は、現在における差別用語やセクハラ用語を避けては語れない分野であります。事前に、いちいちチェックして問題にならぬよーに配慮するのも面倒なので、十傳スクールの講義は検閲官が詰めていたならば、
「そこまで!」
のストップがかかることでありましょう。

とは言いながら、うっかりすることもございます。
腹が痛いと訴えるお女性の受講生がいましたので、下痢止めを差し上げたところ、
「そっちの痛さじゃなくて…」
ああ、お女性特有のヤツかと気づき、鎮痛剤を手渡しながら、
「まだ月経があるのか」
このひと言で、教室は「セクハラ発言!」などの声で満たされたことがございますです。指を私メにさして抵抗するお女性もおりました。

いやいやいやいや、と頭をかきつつ、心の中では、
「その態度では質問には応じないぞ」
と心に誓ったのでございました。
反省などするわけがございません。

この程度で大騒ぎになるわけでして、男どもは「あぶね、あぶね」と過去のいくつかを思いだしては胸をなでおろすのでございましょう。

この風潮はモラルとかが向上したのではなく、政治家が対立政治家を引きすりおろすために利用しているに過ぎないのでございます。

それにしても、オッパイ卵黄を、いつ、ぶちっと潰すかに迫られているのでございます。箸越しに感じられるこの感触は、あの子の乳房ではない、М女のヤツでもないし、お女性Sのオッパイはもっとしこっているし、N女はガリだし、そうかそうか、彼女のモノに似ている似ている。
画像をおくってみよーか。

いえいえそれはなりません。

2018
04.18

雨上がりは、やっぱり気力が失せるのでした。
しかし、いつまでもグダグダしているのは人生の無駄遣いだとケチ臭くなり、自転車で美術館まで参ったのでございます。

すでにツツジの花が群れながら咲き狂っておりました。
触れると強い粘着力のある蜜が、
「行かないで」
みたいに未練がましいのでありました。

占いばかりしておりますけれど、分野外の知識も必要なのであります。
絵画、音楽、医学、経営学、法律など基礎的なものを齧っておくことはとても大切なのであります。
サイの目や、干支や、星の動きだけで判断してもイイかもしれませんが、しかし、それだけではリアリティに欠けてしまいますです。

お金の流通、出世するためのノウハウ、薬の副作用などを、ちょっと知っておくだけで占いに現実感が加算されるのでございます。

近代版画を見たとて、すぐには活かされることはございませぬが、いずれ体内で他の知識と化学反応をおこさないとも限りませぬ。

浮世絵、浮世絵と騒いでおりますが、じっさいはどーでありましょーか。明治以後に外国人の価値観に合致しただけで、本当に良いものだと思っているかは、これは自分の心に聞いてみるしかありませぬ。

宮沢賢治の一連の童話もしかりであります。

「心に響いた」
というモノが世間では評価されていなくてもかまいませぬ。
展示室の片隅で、日陰の花のよーに咲いている作品を見つけることは、占いの依頼者の真実を理解することにも通じているのだと思うのであります。
そして、なぜ、その作品が心に響いたのかを、自問することも無駄ではないのだと思う次第でありますです。

美術館を出ましたら初夏になっておりました。
雨になっておちた水滴が、いっせいに空に帰っていくのでありました。

気圧の変化がもたらす、軽いはきけはありますが、版画師たちのエロのよーなものを受け止め、どことなく足取りも力強いのでございます。

自室で仕事の続きが出来そうであります。
もちろんクーラーをかけながら。