04.12
ふいに時間ができるのが私メのよーな稼業かもしれませんです。
フリーの編集者もそういう時があるらしく
「フーゾクにいくのさ」
しかし、そんなに若くない私メは、都内の名所周りをすることにしておりますです。
通り雨はタクシーで移動している時だけで、ぽっかりと晴れ上がったのでございます。
ここは旧岩崎邸。
一代にして三菱の創始者となった明治の怪物、岩崎弥太郎の孫が立てた邸宅であります。
べつに行きたかったから行ったというのではありませぬ。
たんなる気まぐれなのでございます。
携帯のメールには、川崎に住む従妹の死が送られていましたから、本当を言えば、向かうべきはそちらなのであります。
が、魂は川崎ではなく岩崎邸に向かわせたのでございました。
おそらく大名屋敷を手に入れ、そこを西洋風の庭に仕上げたのだと感じました。
名所というには、どこか落ち着きませぬ。
池がないからだと気づいたのはしばらくしてからでありました。
「きっと池を埋めたな」
この草原に池の配置を想像するとおさまりますです。
そして池だったところに数体の死体が埋められているのでは…。
ひとところに白い花がかたまって咲いているのを見た時、慟哭にも似た取り残された気持ちに襲われたのでございます。
それは次第にいらだちにのぼってくるのでございました。
自称アーティストと結婚し、美容師して生計を主ていた従妹は、ついに亭主の成功をみずに昇天したのであります。
そのいらだたしさであったよーであります。
川崎に向かわなかったのは、自称アーティストの顔を見たくなかったからでありましょう。
「くいものにしやかったな」
つきつめれば、その感情なのであります。
お粗末な才能…いやアーティストというご身分にもたれかかった生活のために、妻を犠牲にしたバカ者をただではおかないでありましょう。その日頃の感情をぶっ放しそーだったからであります。
やはり成功しなくてはつまりませぬ。
でなければ、土方とか、何でもいいからやって妻をやしなうのが本当なのであります。
迫力と才能によって財を築き上げた岩崎弥太郎の余韻に触れたかったのかもしれませぬ。
ときおりつむじ風が木々の梢を揺らし、すこしおくれて草花がその風に南から北へとなびいていくのでございました。