2018
05.11

未舗装の道をみると昭和を思い出すのであります。

雨ともなるとぬかるんで、すっぱねの泥を上げていた頃が。
そして、今年になってから老いた旧友の姿を見かけることが多くなりまして、ますます当時のオショシイ記憶が鮮烈によみがえるのであります。

「しっぱいしたぁ…!」
と、一人寝床で頭を掻きむしりたいほどの赤面の記憶であります。

そのひとつに、そう、ラブレターがございます。
眠れない、眠れない、おまえにむずむず~♪
と声の限りを歌っていた時は、まさか45年後に滑稽なまでの羞恥の種になるとは思いもよりませなんだ。

小鳥のような少女に想いを寄せて、手紙などしたためた、そんな過去なのであります。
いまさら羞恥するほどの問題ではなく、青春の淡い思い出の一ページとして美しく心に飾ればイイのでありますが、
たまに、
「そーいえば」などと、その頃の女学友に切り出され「ホコちゃんは、えらそーよ」とニヤニヤされたりいたします。
ホコちゃんというのが、私メが心を寄せていた少女だつたのであります。
「オノくんからの手紙を見せてもらったわよ」
ホントかよ!

片想いにハートを焦がした過去は、それはそれとして別段かまわないのでありますが、こう叫びたいのであります。
「いまは、そういう気持ちは一切ないから」と。「もう普通にしか思っていないから」と。「鬼の首でもとったよーに騒がないでほしいのさ」と。

老年に達してまで話題にすべきことかと、アホらしく、返事をすることすらバカバカしいのでありますが、もう好きではない相手に、「まだ気がある」などと思われるのが忌々してのでございますです。

なんでいまさら、こういう愚かなことで羞恥しなければならぬのかと、自分で自分の頭を噛みかみしたいのであります。

ちがうちがう、オレをそこの時点で評価してくれるな。評価の原点を、その手紙においてくれるな。

45年の歳月がたち、たまに、みんなと飲むとき、ホコちゃんが、私メに対して優位な立場で語りかけるのも癪でありますです。私メは私メでヘンに萎縮した応対をするのは、その手紙の件があるからであり、いまなお好意を抱いているからでは、けっしてけっしてありませぬ。
そこを分かってくれ~!

茅ヶ崎の東海道線の脇に咲く、ちんけな花が咲いているのであります。
ちんけな花はかたりかけます。
「お年だねぇ~」と。

ちんけな花はさらに語ります。
「もしも、彼女に迫られたら?」
いやだ、ぜったいに、ぜったいに応じない。応じるわけがない。応じないはずだ。応じるものか。応じないぞ。応じたくない。応じられるか。……えっ。