2018
08.19

不意に、姿を消したペンが、何でもないところから、ひょっこり現れましたです。

インクが切れたので、わざわざ替え芯を買った直後に、まるで、
「そんなバババンツは嫌だ」
というように、姿を消した白いペン。

替え芯を無駄にしたくなかったので、色違いの同じペンを使い始めたら、すねるーな感じで現れたのでありました。

誰かが故意に隠したとしか思えないよーな、現象は、このペンだけではございません。
たとえばUSBメモリーとか、外国のコインとか。
もしかすると財布の中身も掻き消えたりしているのかもしれませんです。

そして、まったく予期せぬ時、予期せぬ場所にちょこんと置かれているのでございます。

不思議なことはまだまだあって、たとえば車。
「そろそろ電気自動車がいいかな」
などと愛車の中で呟こうものなら、ワイパーが動かなくなったり、ウィンカーが切れたりすることは、私メだけではございますまい。
洗濯機も、冷蔵庫も、掃除機にも心のよーなものがあり、
「裏切ったな」
とでも言いたげに、故障したりする経験は、皆々様におかれましても「あるある」ことでしょう。

この夏など、
「クーラーの効き目が悪くなったのは、きっと古くなったからだ」
なんて思ったお方は、突如としてクーラーが壊れたことでありましょう。

お女性は……。
とお話をお女性にもっていくことは陳腐なので止めますです。

とにかく白いペンが出てきたのであります。

じつは、幸運のペンと言うものがございまして、数回前のブログに「神棚」をUPしたことがございますが、画像には載ってはおりませんが、片隅に金色のクロスのペンがあるのであります。
路上で拾い、その直後からとんでもない幸運が連続したペンであります。

そのペンをある日、失いまして、必死の思いで取り戻し、もはや神として祀っておるのであります。

こり白いペンも、神棚へとランクアップすることになりそーであります。

2018
08.17

秋の味覚のチューハイが揃い始めました。
梨の羅・フランスのお味、マスカットのお味。
グビッとやりますと、過去の恋の記憶がほろほろとほどけてくるのでございます。

「もう8年以上も経っているのか」
チューハイの酔いが、さらに記憶をそのときだけ鮮明にするのでありました。

「恋だって、ははは」
そのお女性の高笑いもよみがえります。「恋だなんて、ちょっと違うんじゃないの」と。

まさか、まさか、杏里の曲の「あなた、わたしのマボロシに恋したの♪」を下敷きに笑っているんではなかんべね。
と当時は思いましたけれど、

「暑い暑い、まだ暑いよね」
薄目に開けた窓には、積乱雲がばかに青い空に展開していたところが思い出すわけで、となると昼下がりの情事だったかもしれませんです。
暑い暑いと上気した顔と、秋味のチューハイがモンタージュされまして、老身でも心が騒ぐものがございますです。

どの言葉も、
「そんなに貶めたいの?」
と棘のある意味に受け取るよーになりますから、
隙間からのぞく、ちいさな空を仰ぎながらチューハイを呷るよりほかはなく、
そして、ふたたび汗にまみれることになるのでございました。

「まだ、まだ駄目」
お女性は、果てた後の私メをおそれるよーに、乳房を粟立てながら、終了の時を繰り延べさせるのでありました。

ガラガラ声に喉をかすれたお女性が駅の雑踏に消えていく姿。
口の中に残った秋味のチューハイ。

黄昏の空には崩れた積乱雲。

と、記憶はときには深く、とくには淡くよみがえるのでございました。

 

2018
08.16

風が立ちました。

夏はしずかに傾いているよーであります。

灼熱のために白く漂白された東京の街にも、色彩が戻ってきたよーであります。
ぼやぼやしていると本格的な秋となります。

私メも、ボヤッとしていた「金持ち前夜祭Ⅱ」の準備を詰めなければならないのであります。

ご参加希望のお方に、そろそろ「赤紙」いわゆる「臨時徴収令状」を出さなければならないことを思い出した次第でございます。

まずは、事務所でお洗濯。
洗濯機のスイッチを入れるだけでありますけれど。

すべてお洗濯であります。なにもかもお洗濯であります。
「あー、ばかばかしい、ばかばかしい」
と呟きながらお洗濯をするのでありました。

で、ついでに、書庫を開いて奥にある古書類をチェックしていましたらーー

今を去ること35年前に、さるご高名な占い師の大家の特別講義に参加したノートが出てまいりました。
すっかり忘れていたヤツでございます。

当時はまったく訳が分かりませんでしたが、「なーるほど」とすらすら解読できるではございませんか。

男女を結びつけたり、引き離すことのできる秘法が記されているのであります。
四柱推命と奇門遁甲の応用技法というものでして、当時でも二日間で10万円の特別講義なのでありました。

「損した…」
と後悔しつつも、和綴じのノートに清書。
が、今となっては40万円を払っても惜しくはないであろうてな価値なのであります。

これも風立ちぬの一種かもしれませぬ。
熱い時にはわからなくても、時が経つうちにその価値を知るという意味で。

しかし、丁寧にまとめておりまして、当時の意気込みが分かろうというもの。

人も、このよーにありたいと思いますが、右を見ても、左を向いても、バカな年寄どもばかりであります。