2020
11.20
東日本大震災は遠い過去になりましたが、その復興は不完全なまま停滞しておりますです。
モリオカから花巻ジャンクションを経て釜石へ。
花巻からは高速料金は無料。
自動運転にたよりっぱなしでありました。
ひと仕事を終え、碁石海岸へ足を延ばしたのであります。
小学校の時以来で、記憶とは異なる風景が展開しておるのでありました。
あのときは、漁師さんが小舟で、ホヤを剥いて海水でひと洗いして手渡ししてくれたのであります。
真新しい家は、津波の被害をまともに受けた家で、その真新しい家々に点在して古い瓦屋根がのぞいておりまして、そーいえば震災一週間後に来た時も、ほんのすんでのところで被災を免れた古家があり、その微妙な地形に驚いたものでありました。
しかし、いまやコロナの時代。
中国人がワザともたらしたに違いないと私メは妄信して譲らないのでありますが、このよーな最果ての漁村でも飛沫防止のツイタテが、ラーメン屋に設置されているのでありました。
が、釜石に感染者が出たのは、私メが去った当日のことでございました。
こんどの第三波は、
「妙だぞ!」
へんな直感がはたらくのであります。
「本当だろうか。何かほかに目的があっての感染者増大の数字ではないか」
国を信じて正しかった歴史はございませんです。
かつて古代天皇家が、一関以北を蝦夷、下関以西を熊襲と境界線を付けたことを想起いたしますです。
また岩手県北部を、一戸、二戸から九戸と分割し、そこに俘囚の蝦夷部族をゲットーとして閉じ込めたよーに、あるいは二つの関の領土にも、神戸とか穢戸、水戸など「戸」という区分を設け、それぞれに問題部族を住まわせたよーに、暴動を抑える処置が復活する可能性も無きにしも非ずなのであります。
もはや被災地は忘れ去られ、オリンピックのお題目にもなりませぬ。
オモテナシの言葉も、いまや忌みワード。
「オリンピック中止の口実のためか」
鳥インフルエンザは収束まで二年半ほどかかり、百年前のスペイン風邪も三年ほどの猛威をふるったのちに、嘘のよーに引けたとか。
まぁ、いずれにしても、
ウィルスの寿命が尽きるまで、嵐の去るのを木の洞で待つ小動物の如く、じっと耐え忍ぶ以外に方法はないのかもしれませぬ。
宿のテレビを見ていましたら、家庭内感染が大切だから対面しての食事はさけることとか馬鹿なことを繰り返しておりました。
「おセックスはどーした?」
そこがポイントだべじぇ。
「飛沫感染予防のおラーゲに、後背位を推薦を推奨しますとか言ってみよ」
画面に吠える私メでありました。
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2020
11.18
白菜の漬物が成功いたしましたです。
10月にモリオカに戻ったとき、産直で白菜が安く売ってましたので、
「挑戦しようか」
生まれて初めてというのは、この年齢になってからは、あまりない事ですが、ダメ元なのだからと自分をけしかけましたです。
漬物の元は使わないことを課しました。
「あんや、昔の味だぁーん」
と老母。
やや乳酸が強く、口の中で妙に下の裏に絡むのであります。
味噌の焼きおにぎりを付しましたです。
「あーん、オノさんのモリオカパワー……!」
かつてお女性に指摘されたことがございました。
「モリオカ帰りのオノさんは異常性欲」
以前は、自宅で漬物だけでなく葡萄酒まで作っておりましたです。葡萄の木がございまして秋になると無数の紫色の乳首を実らせ、それを乳腺のあたりで摘み取り、樽にためて発酵させるのであります。
一か月もすると樽の中で汚くぶつぶつと発酵が進むのでございます。
もっとも味噌だけはいまも作り続けておりますですが。
一年でもサボると、樽が乾燥してダメになり、いつしか葡萄酒も漬物もしなくなりましたです。
それが家を建てるために納屋を片付けている時に、漬物樽が出てきまして、なぜか捨てられずに、新しい納屋の奥の棚に置いていたのでありました。
「昔の味」とは、つまり、かつてのオノ家のお味なのであります。
緑茶と塩加減がマッチしまして、
「開運おごご」
と名付けましたです。
「おごご」とは「お香のモノ」のナマリでございます。
これから、追加の白菜を投入するために産直巡りをしようかと考えておりますです。
一人、納屋の裏の水場で、漬物をセットしていると、枯れ風が死人の声みたいに感じられ、
「そこに来ているな」
霊魂を感じるのでありました。
帰ってきたのかもしれませんです。漬物樽の中に亡霊が潜んでいるのかもしれません。
醗酵した漬物をキッチンに運んだ時、かつての亡霊までもが、いっしょについて来たような気配まで感じられたのでありました。
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2020
11.17
中国人がもたらした新型肺炎コロナの第三波が、日本中にとぐろを巻く中、郷里のモリオカへと新幹線に乗り込んだのでありました。
三分前に出た金沢行きの新幹線ほどではありませんが、東北新幹線の乗車率はたかく、5月の自粛の頃が懐かしいのでありました。
モリオカも、すでに清くはなく、疫病に感染し淀んで濁り汚れてしまっているのでありました。
東京駅で乗り込んだ時から、妙に不機嫌なのでありました。
老人性の癇癪が爆発しそーでありました。
きっと脳の海馬が縮んで、おまけに十六夜だからだと自己判断。
目を閉じ、骨伝導のイヤホーンで音楽を聴くことにしましたが、ダメでありました。
「中国人も南朝鮮人もアメリカ人もいないのに…妙だな」
いつもなら老人性のイライラは午前9時には引けていくのですが、10時をまわっても、さらに激化してくるのでございました。
日本のジャズに音楽が切り替わると、
「日本人にはジャズをさせないよーにと、ニューオリンズの黒んぼどもが抗議して騒げばいいものを…」
とか、
「すぐに他国を真似る日本人のサル根性は醜いばかりだ」
昼前にモリオカに到着。
思いっきり不機嫌な表情でモリオカ駅の改札をぬけ、ヨボヨボ爺の運転する中央タクシー、これがボロボロの旧型で、実家に到着するまで4度もエンストを繰り返すのでありました。
妙だ、おかしい、イヤな予感がする。
ああ、お庭が…。
ボクのお庭が…。
ま、まるで百姓だ…。
老母は私メのいないことをイイ事に、ボクのお庭に干し柿を吊るしていたのであります。
妹の亭主である千葉氏にヤラせたのは、その粗末な結び目を確認するまでもありません。千葉氏は老母の下僕でありまして、言いなりなのでございます。
不機嫌な予感は、コレだったのかもしれませんです。
頭の中で、私メは自動小銃でモリオカ中の奴らを撃ちまくっていたのでありました。
グラタタタタタタッ!
と。
千葉氏は頭を撃ち抜かれ、老母も口から血を飛ばし、通行人は次々にナギ倒れ、男もお女性も年寄も乳飲み子も屍の山と化していくのでありました。
「百姓、百姓、ドン百姓め!」
それから、
干し柿が見えないように、自室のブラインドをおろし、写経をするがごとく、仕事をするのでありました。
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