2022
08.25

スーツを着用するのは、こんな法事の時ぐらいなのでございます。
それも白いワイシャツが見当たらず、青シャツに黒ネクタイ。

棺桶の窓から、バァしようといたしましたが、悪ふざけのし過ぎに、激しい顰蹙のあらしとなりそーでしたので、棺桶の蓋とのツーショットでおさめました。

はじめて人の死に直面したのは、小学校4年の時。
祖母を訪ねてきた来客が、会話の途中に崩れるよーにたおれて、それっきり。
すみっこで漢字のドリルをしていた少年の私メは、飛び上がりましたです。
「おずんつぁんを呼ばねば」
近所の80代の長老を無理やり呼んできましたです。
「脈がないでがんすなぁ」
と、おずんつぁん。
祖母は便所に入ったまま出てきませんでしたです。

それから、かかりつけの医者がきました。

タイヘンなのは、名前は知っているものの、どこに住んでいるのかが不明。

とりあえず、逆さ屏風を立て、布団をかぶせたのでした。
どーやって知りえたのか、深夜になって身内の方々がぞろぞろといらしたのでございます。
「はぁ、人はあっけなく死ぬもんだなぁ」
驚いたものであります。

そして、来客の死ぬ一部始終を家族に演じて見せたのでありました。
「こーやってね」
来客が祖母と談笑しながら、ふと膝元の糸くずでも拾うみたいにして横倒しに崩れ、最後に足を思いがけないところまでグンとのばしたまま動かなくなった、その一部始終をです。

すると横から迷信好きの叔母が、
「そーいえば、朝にカラスが二羽、家の瓦屋根の上を変な聲で鳴きながら旋回していたっけ」
などと言う始末。

その後の数年は、法事続きでして、また死んだ、今度は祖父だ、次は大叔父だ…だんだんと死に関して無感覚になってしまっていくのでありました。

「おらが死んだら…」
99歳まで生きた祖母が、毎日のよーに、まるで夢を語るよーに申しておりましたが、さーて、自分はどーなるのか。

遺体の額のあたりにショウジョウバエがまつわりついておりました。

2022
08.24

八月の終わり。
奇妙な期間であります。

初夏にわたってきたツバメがふたたび去り、巣が残ったりしておるのです。
海岸も青空がとおくに光り、殺風景でございます。

終わりかけた恋のように、どんなに盛り上げようとしても、風に白けてしまうのであります。

「夏が終わればイイ」
と願っていた私メでさえ、そんな侘しさにかられるのですから、夏が大好きな方々のお気持ちはいかばかりか。

夏の終わりの季節になったから夏が終わるのではなく、夏は盛夏のうちに滅びていたことが、夏の終わりになって気づくから、よけいにうら寂しいのでございます。
「すべてにダマされていたのか」と。

ダマされている申しますと、じつにダマされっぱなしですね。
五輪にダマされました。
ワクチンという一生取り返しのつかなくなる接種にもダマされました。
じっさいは国民の一票より、新興宗教によって支えられていた選挙投票にもダマされました。
そして国葬にもダマされかけております。

ダマされてもお女性にダマされるのは、あとになって「うふふ」と懐かしむことができますです。
ズルいお女性にダマさせるのを承知で接近し、さぁ、騙すのか、ダマされるのか。
ダマしたと思っていたら、じつはやっぱりダマされていたという痛快はお女性との関係以外みつかりませんです。

ダマされた被害は、心かお金だけであります。
たかがそれだけ。
心を傷つけられるのも、妙に嬉しいもの。その回復の過程も恋の醍醐味でございます。

この秋は、どんな秋になるのか。
酷い辛い暴力的な秋でも、私メは大丈夫でございますです。

2022
08.23

つい先日まで、こんな雑草はありませんでした。根を張り、図々しく実までつけております。
鳥が種を運んできたのか。
いや、毎年、夏の終わりごろ、芽を出すようにと、コンクリートの亀裂に根か種が生きていたのでしょう。
だから刈っても刈っても、来年も再来年も同じ場所に芽を出すことでございましょう。

が、この雑草もこの場所を好んでいるかといえば、けっしてそーではありますまい。
もっと咲きたい場所があったに違いありません。
「残念だったね」
行きすぎようとしたとき、数年前に亡くなった同級生のお女性を思い出しました。

彼女は、「モリオカの街が好きだおん」と東京に拘っている私メを哀れそーに笑ったのであります。
モリオカの街が好きだから、進学で上京しましたが、卒業と同時に逃げるよーにモリオカに舞い戻り、そこで結婚し、病を得て、モリオカで亡くなったのでした。

そして、もう一人の鑑定客を考えました。
「ミニリタイアをしたいと思うのですが」
株で稼いだお金がかなりあるご様子でした。
社会運が大運と干合しておりまして、ここ数年は働いても無駄でございます。
リタイアする条件が揃っておりましたから、
「面白いかもしれない」
と田舎ぐらしを勧めました。

好きな土地で住むのも、じっさいにはなかなか出来ないことでございます。

好きな場所で犬と一緒に暮らすことは、もしかしたら選ばれた人間かもしれません。
好きな場所に住んでも、地元の人とうまくやっていくのは難しくてもです。

疫病が蔓延するにともない、生活スタイルが変化いたしました。
好きな場所をまずは探してみるのも悪くございません。

人との関係を最小にとどめ、好きな場所で朽ち落ちる生き方は、これも極楽でございましょー。

しばらくは雑草を刈り取らず、好きに生かしておこうかと思ったのであります。