2010
12.25
デジカメをチェックしていましたら、このような画像が残されておりました。
ああ、そうだ。
これは函館山ロープーウェイをおり、南部坂を下った…郵便局あたりにあった家でありました。
ラブホかどこかで使われた窓やドアなのでありましょうか。いやラブホではありますまい。スナックでしょうか。昭和40年代には、かようなほほ笑ましいドアなどの店があったのであります。
が、窓は分かるとして、ドアをこのようなところにとりつけていいのでしょうか。
酔っぱらってドアを開いて転落することはないのでありましょうか。
それとも大雪が降った時には、このドアのところまで積雪するのでしょうか。
いやいや、悲しい自己顕示欲なのでしょう。
このあたりは異国情緒の漂うロマンティックな一帯。函館の表向きのシンボルといっていい地帯でございます。
おそらく、この家の主は、そういう風潮が許せぬのでありましょう。
「なにを気取っているのだ」
などと、故意にこういうハート型の窓やドアを貼りつけ、街の景観をこわすことで人々の目を覚まさせ用としているのでしょう。
良い。良いのでございます。
こういう人がいないと世の中は面白くありません。
この廃屋のような家の中で、どのように暮らしているのか。
会いたいとはけっして思いませんが、激しく好奇心をそそられるのであります。
平和時においては「戦争しろ!」と怒鳴り、戦時下においては「軍事費を削れ!」と息巻く、つまりどの時代でもぜったいにメジャーになれない、狂わしいほど素敵な住人だときめつけたいのであります。
Category:
十傳の日記 /
Tags: no tag /
2010
12.24
北海道の入り口といわれる函館の街は、こうして眺めると、なるほど女のウェストのくびれによく似ているのであります。
10代から20代の女のウェストでありましょう。
それが性の入り口とすれば、ここから札幌だの旭川だのと奥地へすすむごとに、年齢を経た成熟した女へと成長することを妄想させるのであります。
すると函館は汚れを知っても、まだそれがカラタのラインを浸食するほどに染まってはいない街ともいえなくもないのであります。
わけのわからないことを書きましたが、トバしてください。
駅の脇の一帯は観光客相手の市場であります。
「ちょっと、ちょっと」
という呼びかけに振り向くとアンちゃが、
「あんだ業界の人だべ、すぐに分がっちゃったもんね」と親しげに笑っていたのであります。
「カニ買っちゃ駄目だ」
ともいうのであります。
「ここらへんの人は、カ二でねくて、あんたみてなトーチョーの人のカネを狙っちゃってるのさ」
と、おそらく何千回も使ったであろう下手な洒落をいって、一人でウケいるのでありました。
なんでも、高いカニを売りつけて、実際に送るときには身がスカスカなカニを送るのだとか。
そういうことを暴露する函館は、やはり無垢な街なのかもしれません。
旅行の楽しみは騙されることなのであります。
が、アンちゃんにそう言われると興ざめして、結局は何も買わずに五稜郭へ。
美人朝鮮人三人組に
「シャシンとてください」
と頼まれ、「はいキムチ」などと、これぞオヤジギャグしてパチリ。
あとには寒い沈黙が残るばかりなのでした。
逃避旅行もそろそろおわりを告げるのでありますです。
Category:
十傳の日記 /
Tags: no tag /
2010
12.23
北の街の坂道を歩いているのであります。
記憶では、この近くにラーメン屋があるはずであります。
小汚いそのラーメン屋で塩ラーメンを食うことが、このたびの逃避旅行の目的の一つといっていいでありましょう。
この坂道の下の道に、そのラーメン屋はあり、しかし本日は天皇の誕生日とかで休日なので、あったとしても開店しているかどうか。
あった、あった、あった。
しかも開店を示す暖簾が粗末に風に揺れていたのでありました。
百円値上がりして、塩ラーメンが5百円。
なんと懐かしいお味でありましょうか。
これほどまでに向上心を抑え、古い味をそのまま残すということは容易なことではありません。
「おおっ、東京の人じゃねぇの、いつかの」
と主人の釜谷氏は、目で私にいっておりました。
あっという間に食い終り、あとは店を出るしかないのであります。
ふたたび風の強い街の殺風景な舗道を歩くのでありました。
またいつ、このラーメンを食えるか分かりませんが、また来たときには、目で「知ってるよ」といって欲しいものだと思うのでございます。
Category:
十傳の日記 /
Tags: no tag /