2015
01.21
なにしろ寒く、口を動かして喋ることすら気力を要する葬式でございました。
足元からしんしんと寒さが這い上がり、このカラダを温めるにはお女性の柔肌しかございますまい。酒を飲んでも酔いが瞬時に醒めますから。
ところで、仏事も時代と共に変わるのは知っておりましたけれど、驚いたことがございます。
それは入棺まえに、死者をすっぽんぽんの丸裸にして、遺族たちに布きれで拭き清めるという儀式であります。
これは赤面でございますというよりも、恐怖でありました。
みな、
「えっ?」
という表情のまま、当然のような進行役の人の指示に従い、「さあさあ」と丸裸の前に集められるのであります。
「自分もこうされるのか?」
「それだけはごめんだぞ」
の心の恐怖が、無言の叫びとなって伝わりましてございますです。
これはたぶん、セレモニー会社の計略で、その儀式を含めることで料金が加算することになるのではあるまいかと。
けれど、死ぬ前に全身の美容整形が必要ではないかと、すっぽんぽんの伯母を目の前にして相当のショックを受けたのでありました。
などの話題を、駆け付けた弟と語りながら、葬式前の腹ごしらえにと鰻屋でひさしぶりにうな重を食うのでした。
すっぽんぽんも、これが生きたお女性に施すのであれば、意味も意識もまったく違ったものになりましよう。
死者より、性者がやはり一番でございますですね。
さて、納骨の際、伯母の骨の粉が私メの指につきまして、それが静電気か何かの作用で、いくらほろってもほろっても落ちませぬ。
「みーたーなぁー、ワタシの皮ばかりのオッパイをみーたーなぁー!」
とでもいうように。
在りし日の伯母の想い出を語るのは、しばらく時間を待たねばならぬよーであります。
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2015
01.20
伯母の葬儀は昨日が火葬で、そのあとはおたいやという宴会がありまして、私メは一日で疲れ果て、朝飯をつくる気力も失せてしまいましたので、近くのバイパスにある吉牛までクルマを走らせ、朝定にすることにいたしました。
若い頃、牛丼を食い過ぎて、匂いを嗅ぐのも苦手でございますのに、ドアを開けたら、その匂いが、もはっと充満。
老母はハムエッグ定食、私メは特朝定食。
外では小雪が舞っており、路面は凍結して光っておりますです。
出勤の車でバイパスは渋滞。
異国へ旅行している気分でございました。
向かいのマックの客足はまったく絶えて、人の噂も七十九日をひたすら待っているようでございます。
これから仕事を少ししたのち本葬、そして付け法事の会場に向かう予定であります。
大格という凶格を犯してモリオカに来ていますゆえ、健康や事故は要注意。タクシーでの移動が賢明なのかもしれませぬが、大格はそれ以外にも、いままでOKだったことがダメになるという悪さも暗示されております。鉄が雨水でゆっくりと錆びるという悪さのイメージなのであります。
「仕事関係だべか」
などと考えては「しかし、考えても仕方のないことは考えるだけ無駄かも知れないな」とも思い直し、ならば、目の前のことを細心の注意を払って消化するしかあるまいと。
と、出された冷水を飲んだら、たちまち下っ腹がグググと鳴りだし、藻屑の排泄をしきりに促しているのでございました。
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2015
01.18
かつて米軍が兵士たちに配ったカードをしみじみと眺めておりますです。
カード遊びをしながら敵国の首脳たちの顔を覚えさせるという意図を込めてのカードでございます。
ダメ男、ダメお女性もこのようにしてばら撒いても面白うございますですね。
米国から見れば極悪人でも、あたらから見れば英雄でございましょう。
大蟻と赤蟻の戦いを見ているようで、どこか微笑ましいのであります。
断易のなかに株占という分野がございます。
むろん教えろと言われても、そのつもりは毛頭ございませぬが、断易を馳駆して株で大儲けをした老婆がおりますです。
伝説の老婆でして、むろん活躍していた頃は50年前と聞き及んでおりますから、まだ40代でございましたろう。
千葉の山奥に住んで、千葉駅からバスで20分ほどかかる場所なのに、朝からお客さんが列をなしていたとか。
現在は、五日市の奥の高級老人ホームでしずかな生活をしておりますです。
「株で生活しようと思ったら、家を三軒くらい飛ばす覚悟が必要よ」
と、ことあるごとにおっしゃっておりましたです。
画像がネタ本の一冊の、その一部でございます。
手書きであります。
「いつか役立つなら」
と老婆から手渡しされたものでして、なるほど断易の基本に忠実でありながら、株という刻々と変化する動きに合わせた時間差などが書かれており、非常なる名著なのでございます。
世間一般では「株を断易で?」などあざ笑うことでありましょう。
では経済新聞で株が儲かるかといえば、それもアテにはできませぬ。
断易を本気で学びもせずに、常識という非常識を聞きかじり、分かったつもりでおるのは危険かもしれませぬ。
すべてを断易に託す覚悟を決めると、断易は強い味方になってくれるものであります。
世間とは真逆の方向性が、じつは正しいのではないかとあらためて思い始めております。
成功者は正しい方向性とは逆の方向性を指示し、独り勝ちを収めているという当然の常識を、断易という非常識極まりない方向性に呑み込まれている私メはなんとなく悟ってしまうのでございました。
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