2018
01.19

「やりやがったな…!」

いつも、この感情の起爆が、次のステージに飛躍するカンフル剤のよーであります。

遁甲の講義の漏洩をどーしよーかと、つまらぬことを考えておりましたけれど、おもえば初等科の内容であります。

思考を立体化させることにいたしましたです。
すると、いろいろと可能性という黄金の扉が、そこにあったのでありました。

アメリカの占いのシステムを一目見たとたんに、目ははるか向こうの「!」を見据えたのでありました。

漏洩されてはならない内容は、初等科以降のものであり、それを知ることで、「なーるほど」とピタンと手を打ち、「たしかに…」と納得することになるのであります。
「感謝すべきことだったのかも」
と思ったとたんに、空腹に気づき、にしんの塩焼きだのナポリタンだの、ハムエッグだのを食い漁り、
「古き衣を脱ぎ捨てる時が来た」
パンパンに張った腹を見下ろすのでありました。

が、占いとは科学とは、まったく別のサイクルを持つのでありますから、最初は算数かもしれませぬが、そのあとは運命という思想の領域に入っていくわけであります。
非情、有情、虚と無、幸と運などなど。

遁甲はダメだ、四柱推命は良いというようなものではございませぬ。

なんとなく興奮し、帰りの東海道線はひとり大汗をかき、「あず、あず」と扇子であおぎっぱなしでありました。

2018
01.18

二週間限定といううたい文句に釣られまして、まんまとカウンターに着いたのでありました。

松屋のビビン丼。

思えば、この店での、私メの習わしは、すべてのドレッシングをぶっかけるのですから、何を食おうと同じ味なのでございますです。

それでも、やっぱり、のこのこと出向くのでございました。

不味くございません。

美味であります。

ちと朝鮮漬けのお味が浅いのが気になりますが、ここは味覚を追求するお店ではないのであります。

とにかく胃袋に収まれば、それで合格。それなのに美味なのですから、贅沢気分なのでありました。

そのあとが問題。

季節外れの暖かさに、満腹の私メは夕方まで春眠を貪ってしまったのでございます。
春の夢は不思議であります。

不思議な夢として記憶にのこるよーな内容なのであります。

「どんな夢?」
ダメダメ。オショしいので内緒であります。

ロメオのお腹をコチョがして気持ちよくしてあげるのでした。

こうして無駄な一日が過ぎていきますです。

すると、パッと閃くことがございます。
新しい占いのアイディア。
或るお方に、
「占いを作ってください」
と言われていまして、頭に引っかかっていたのでありましょう。

「これがあるぞ!」
むくっとおきまして、ロジックをメモ。

無駄な時間はおうおうにして、このようなヒラメキを作り出すために必要な環境かもしれませんです。

2018
01.17

地上に出ましたら、すっかり様変わりした街が出現したのでございます。

20年前の私メは、この出口から太子堂へ向かい淡島通りを抜け、お女性のもとへと急いだものでありました。

「ここは、どこなのだ」
坂の勾配も以前よりは、心なしに急なのでございます。

「桜が満開!」
何台か前の携帯に、そのような送られたメールが残されているかもしれませぬ。

おそらくお女性は、私メを、ここで見送った後、暗渠となった桜の通りを帰っていって、発狂したよーに咲く花を見上げたのだと思うのでありました。

みんなマボロシになってしまっているのであります。
裏通りにも知らない店々が立ち並び、釣り堀も消えておりました。
鳥焼きを食っていたら、突然に眩暈に襲われカウンターで悶絶した地下の飲み屋もございませぬ。

ただ、春雨がしょぼ降るばかり。

1996年でした。
「2000年ってどういう年なんだろうか」
「あと20年したらオノさんも年寄りだね」

すでに初老でした。そして、いまは老人。

サヨナラの前にいつも入った、その頃はオープンしたばかりの、コーヒー屋の前を通りましたら、その店もよぼよぼでありました。

目に見えぬ結界があり、そこから先に足を踏み入れることはできません。いけない、いけない。

なぜかタバコがむやみに吸いたくなるのでありました。