2018
08.15

他人の自転車がひっくりかえっております。

病葉が風に舞い落ちて、
「夏も盛りか…」
とか思わせるのでありました。器満即傾とかなんとか言葉が浮かばせるのでありました。

鼻毛に白髪が混じったり、寝そべった乳房のわきの脂肪のたるみとか、それらは老いの始まりですが、この酷暑も底力が失われていることに気づいたりするのでした。

休みなく働き、本日は家におります。

そーしたら東海道線がストップしているニュースがありました。
人身事故が原因とか。
「ツイている」
と指を鳴らしましたが、最近、いろいろなところで人々が絶望して鉄道に飛び込んだりしているよーでありますです。
これも盛夏の特徴でして、変化する季節に生き物の心がおののき始める訳であります。

すると、それは占いの季節の到来とあいなりますです。

失恋、事業の失敗、借金、病気、未来への不安、それらが心を乱し、常識の枠内の知識及びアドバイスでは処理できなくなるまでに膨らんで破裂するのでありましょーか。

前を見ても、後ろを見ても、横っちょを見ても、心臓の空砲が頭蓋骨を震わせるほどの淋しさの恐怖を打ち鳴らし始めるのであります。

枯葉だけでなく、乾いた蝉やトンボの死骸が舗道で風に吹かれ、支えを失った心身が叫びだすのでございましょーか。

他人の自転車のわきの病葉。
晩夏の象徴の一つでございます。

2018
08.13

花は咲くためにあるのだと、最近、とくに強く思うよーになりました。

たとえ枯れてもイイから一度は人々の目に止まるよーに華やかに開花しないと花としての価値はないかもしれませぬ。

私メの庭には、一株だけどーやっても咲かぬ、つるバラがございます。ある年には一つだけ蕾をつけましたが、ついに、蕾のまま枯れたのであります。
「刈り取ってしまおうか」
と思っては、「いやいや、それは可愛そーだ。なにしろ、ずっと前から、ここで根をおろしていたのだから」と温情をかけておりました。

が、そのうちに花を咲かせない代わり、棘ばかりが目立つよーになり、手を焼かせるのであります。

美貌にすぐれない意地の悪いお女性に似ているとも思います。
才能に乏しい、それでいて自己顕示欲だけが強いアーティストのよーでもあります。

小さくてもいい、たった一日だけでも良いから、花は咲かねば面白くございません。

水連とくれば画家のモネでしょーか。
盲目にちかい視力で描いた晩年のいちれんの水連の絵画は、モネもこうであったかもしれないと目をぼやかして鑑賞していると、水すらが動いて迫ってくるのであります。

しかし、作品に中には蓮の葉だけの絵もあり、それは寂れた感じで、展示場の中でポツンと取り残され、怨念のよーな気配すら放っているのでありました。

語りかけてくるよーに咲く水連を眺めながら、
「庭のつるバラを切ってしまおう」
と思うのでした。切ってしまうことが、お互いのためなのかもしれないと。温情は私メだけの勝手な思いやりだけで、実際は、咲かぬバラをさらに醜くしてしまうことなのだ。

そーして庭のそのいっかくを美しい花で飾ろう、と。

2018
08.11

変化しない方が可笑しい訳でありますが、私メの知っている横浜の桜木町駅は、構内に展示されている「想い出の桜木町駅」の写真パネルでしか見ることができませぬ。

当時、そうですね、1970年代後半から1980年代前半にかけての桜木町駅は、古臭く、運河からのどぶ臭い匂いにつつまれた駅でありました。

いまの桜木町駅からは想像できないほど鄙びていて「桜木町かぁ」とか山下町と関内とかと比べると軽蔑の対象でありました。

たとえば、いまでも元町と中華街を結ぶ裏道がございますが、当時の桜木町を懐かしむよすがとなっておりますです。

京都だって変わっているのですから、国際都市ヨコハマは、これからもダイナミックに変幻していくことは当然のことでありましょう。
過去の姿を求め、そこにしがみつき、変化したことに腹を立てても仕方のないことかもしれませぬが、そういう頑固者を嫌いではありませぬ。
嫌いではありませぬが、自分もそーなりたいかと言えば、新しい流行追いになってしまうに違いないと思うだけでありますです。

明治に時代が変わったころ、「我が町には鉄道は不要ですから」と駅の設置を拒んだとかいう丹波笹山は今なおイニシエの風情を残し、それはそれで味わい深いスポットとして旅行客につかの間の安楽を提供してはおりますが、自分がそーなりたいかと言えば、けっしてそーはならないでありましょう。

場所のことを言っているのではありませぬ。

占いで、中国の皇帝たちの生年月日を研究するよりは、いま生きている人たち…芸能人とかではなく、リアルに生きている人たちの命式を解明していくことの方がよほど実になるのだと思うのであります。
断易でも、卜筮正宗の十八問答にある、百姓の水争いよりも、いまの時代の事業家の競争の占例の方が役立つと思うのであります。

街が変幻するのであれば、人も変わりますです。どのように変わろうとも芯の部分は残り、そこから新しい占いの解釈がなされるのでして、そのためには生臭い実例をご紹介することになるのであります。
占いは学問ではなく、成功するための道具であると私メは確信しておりますです。

情報情報と大騒ぎし、その情報に振り回されている現状を、占いと言う別の角度から切り込む道具を使って整理していけば、変幻する時代の中で実相らしきものを見ることが可能になるのでございます。

横浜も、これからはモリオカと同じく、ヨコハマと記したいと思いますです。