2023
12.21

湖畔を、もしも一生分の長さだとしたら、いま、どこを生きているのだろーか。

そんなことを夢想しつつ、冬の道をとぼとぼと歩くのでありました。
白鳥が飛来し、鴨と戯れておりますが、まもなく氷で閉ざされることでございましょー。

四柱推命での大運を読むよーに、湖畔の道を、
「ああ、やがて建物がとぎれ寂しい道にさしかかるぞ」
などと推命するのも悪くはございません。

鑑定のお客様たちは、
「もうすぐ次の大運が来るんです」
とか、
「次の大運は己という泥です。日干癸のわたしは人生が濁るのでしょーか」
などなど。
癸は池。ポンドですから、濁ってボンド。
口には出せないバカバカしい駄洒落を頭に浮かべつつ、
そーいえば……とハッと気づいたりするのでした。
「そーいえば、私メの大運の切り替わりも来ているのだっけ」
医者の不養生ならぬ、易者の不精でございます。

なるほど、大運の切り替わり時は、それが吉に切り替わる時でも、凶混じりの変化はあるのだ。
あたかも春が夏に、夏が秋に移る時の、季節の変化で風邪などをひくよーに。
今年の春先から、冬の今までを総括すると、いろいろと納得させられることがございます。たとえ易者に運勢なしだとは言いながら。

景色は荒涼たる道を過ぎ、こんどはイヤに曲がりうねる道にさしかかるのでした。

次の大運が凶だとしても、凶のなかの吉を見つけ、その小さな吉に、生き方を対応させていけば問題はあるまい。それは易者に聞かねば分からぬことですが。

わずかにステップを踏んで、うねうねした曲路を愉しみたくなるのでした。
次は、どーいう悪女があらわれるのだろうかと。