2025
01.13

齢をとるにつれて自分の影が薄くなると言われております。

で、十傳スクールの講義の録画を見ましたら、れれれ、なんと下半身が消えているではございませんか!

なーんて、簡単なマジックをしただけでございます。

じつは20代の後半に、
「将来、どーしたらイイか…」
ほとんどの方々と同じく先々のことを思い悩んだのでございます。
定職にもつかなかった私メですが、同い年の奴らが頭角を出し始め、けっこう焦っていたのでございます。

が、会社員は到底勤まらないだろー。
誰にも使われず、誰をも使わない自由な仕事はないか。

二つ候補がございました。
マジシャンと易者でございます。

結果として易者を選択したのですが、マジシャンへの憧れはいまだに残っているのであります。
みんなを驚かせたい。
十傳という、「とでん」は、「ドデン」からも来ているのであります。
驚くことを、ドデンした=動転したとも申しますから。
塚原卜伝から取ったとは言ってはおりますけれど。

それで、哀しいことですが、十傳スクールの講義のオープニングに披露したのでございました。
癖にならねばよろしいのですが。

2025
01.12

昭和50年代のモリオカの一枚であります。
このお二人がどーなったかを知るよすがはございません。
雑誌の中の写真だからでもあります。

長いこと占いを稼業にしておりまして、その中でも四柱推命を改めて見返すと、どーも多くの人たちは、自分のことを知らずに年老いていくよーであります。

「自分はこういう人間だ」
と決めつけている自分は、果たして本当の自分か。
ほとんどは歪んだ鏡に写されている自分を、自分だと信じているご様子。
「オレは太っ腹な人間だ。だから宵越しの金は持たない」
しかし、四柱推命というレンズを通してみると、自信のない人間だから宵越しの金はもてないのだ。となるのであります。
「さぁ、今日はオレの奢りだ、どんどん飲んで食ってくれ」
いやいや、じつは、自分が困った時に助けてもらおうとして、ご馳走という保険をかけているのだ。となったりもいたします。

私メは十傳スクールの四柱推命で、膨大な資料をもとに、運命の改善を目的として講義しております。

占い。まゆつば。胡散臭い。
では、統計が正しいのか。情報に頼れば幸運につながるのか。

多くの人間の生年月日時をひとつひとつ検討することで、本当の自分が浮かび出ます。
それは12タイプだとか、6タイプだとかで、タイプ別に決めつける占いではありません。
自分という種子は、運命という季節ごとの変化で、いつ開花するのか、いつ枯れそうな危機を迎えるのかを、見ていくのであります。
多くの人間の命式を占いというベースで、平等に解明することで自分の素顔が見えてまいります。
素顔が見えますから、その時々の対処方法が分かるのであります。

ちと長くなりました。
4月から、四柱推命初等科を開講する予定であります。
自分自身を建て直すには、もはや、というか昔から占いしかないのであります。

2025
01.11

酔ってしまいピントもボケてしまいました。

フルーツケーキにブランデーをぶっかけて貪るのを〆にして、夜の一人飲みを決着させるのが、最近の習わしでございます。

これが実に美味いのであります。
これは癖になるのであります。

バッグの中にベビーボトルを忍ばせ、たとえば椿屋などでケーキを注文し、皿に流し込んで、密会した相手と薄ら笑いを交わしつつ、フォークでケーキを切り崩しながら口に運ぶ、これからはじめる罪のイントロ。
猛毒をたがいに呷り、この世とは別の世界にあそぶ、禁断のドア。

ああ、そんなこともしばしばあったなぁ…と回想しつつ、充実した日々を想う時、
「それほど悪い人生ではなかった」
と思えてくるのでございます。
たとえ濁水の結末で閉じられた関係だったとしても。

フルーツケーキは、もう三欠片残っておりますです。