2025
09.15

宮沢賢治は、「一日に玄米二合と味噌と少しの野菜を食べ…」と書き、「そういう人に私はなりたい」と締めていますが、
私メはイヤであります。

そーいう人にはなりたくございません。

貧乏ならともかく、生家は質屋をいとなみ、生活は裕福だったらしく、いやだからこそ、ミジメな暮らしに憧れていたのかもしれませんね。
私メも、学生の頃、四畳半ソングが流行し、赤電灯の灯る貧乏な暮らしを夢みたこともございます。

しかし、質素=誠実みたいな公式にある、この̪詩はいただけませんです。
彼が熱烈な法華経の信者であり、作品のすべてを法華経臭さが漂っているところも、私メをイラ立たせるのであります。すこし、過大評価では…とも思いますです。

生涯童貞をつらぬいたところが、ミジメな生活を賛美する精神が作品全体に沁みわたっているのであります。
それならまだイイ。
ミジメな生活の向こうに、しやわせがあるという禁欲主義的な思想に、怖気を覚えるのでございます。

作品が人気があるのは、もしかすると日本人のほとんどが貧乏であり、日本人のほとんどが貧乏のまま向上心を持たない人種だという証なのでは…と悲しく、いや嫌気が心に生まれるのであります。
つまり嘘をついて生きているのだと。

などと、いただいたタラバ蟹の脚を貪りつつ考えるのでありました。

 

2025
09.14

断捨離の言葉がずいぶんと長生きしております。
一時的な流行かと思ったら、TVなどで、いまだに、捨てられない家庭に断捨離師みたいな人か入って、パカパカと捨てる指導をしているのでありますね。

しかし、私メは「捨てられない」派だと自認しております。

画像のジーンズもどうよう。
完全に履き潰しております。
これで若いのであれば、オヒャレかもしれませんが、私メでは、痛いジジイとなってしまうのであります。

だからと言って「捨てる」選択は持っておりません。
短くカットして、他はパリッとした服を羽織れば、痛いジジイに分類されることはないのではないか。
いやいや、「痛かろうが痛くなかろうが、気に入ったものを履くのは自分の勝手である」。なのであります。

ジーンズの他にも、襟ぐりがほつれて綻びた真っ赤にトレーナーとか、肩口がびりびりに破れたピンクのシャツもございます。

もしも万が一、若いお女性と暮らすよーなことがあれば、真っ先にボロ服を捨てられ、「出て行け!」となるだろうなぁと白日夢を見ているのであります。

2025
09.13

体重が目減りしておりますので、美味いものを食おうと出かけましたです。

中国人が嫌いなので、中華料理は特別の時以外は敬遠しておりました。しかし、この日はどーしても海鮮ラーメンを食わずにはおられませんでした。

で、有名店を目指したのであります。
その店は七階にございます。

ところがエレベータのボタンを押してもヒットしないのでした。
みると「本日休業」の表示が。

別に、その店に執着して「ここでなければ」というほどでもなかったので、諦めました。
また、その店に行くには、エレベータしかなく、しかも怖い事に避難通路がないのであります。何かあったら、ガラス窓をぶち破り、飛び降りるしかございません。
「むしろ命拾いした」なのでありました。

で、記憶を手繰りましたら、「あった!」。
古びて客も少ない、さらにメニューも貧弱だった店を思い出しました。

そして入りました。
昼時だというのに客はまばら。

しかし! 絶品なのでした。
テーブルには塩も胡椒もなく、それは料理人の自信を物語っておりました。
まるで田舎のさびれたスーパーで、そこで働く可憐な美少女を見つけた気分!

気づいたら鼻歌でハンドルを握っておりましたです。