05.17
数日前に行ってみた廃屋が、どーも気になり、ふたたび訪れることに致しましたです。
すると、戸がわずかに開いているではありませんか。
前回は、ガラス戸の奥に得体のしれぬ鬼火の「気」に腰を抜かして退散しましたが、どーやら持ち主が来て、部屋のただならぬ「濁った気」を感じて、空気を流すために戸を開けていったのでしょー。
あるいはならず者が中にはいり、いかがわしいことでも始めたところ、ふと背後に生ぬるい妖気を覚え、悲鳴を上げて立ち去ったのか。慌てて戸を完全に閉め忘れたとも考えられます。
鬼火の妖気が失われてしまうと、廃屋の魅力もまた低下してしまったよーに感じられたのであります。
モリオカの実家を反射的に考えてしまいました。
どの部屋にも妖しい気配が、夏の真昼でさえも感じられておりました。
嘘かまことか、真昼間に、叔母たち数人とスイカを食べていた時のこと、その叔母が、
「誰かいる」
と外を指さすのです。中庭にはさんさんと陽光がまばゆく降り注いでいるばかり。
が、しばらくすると「ほら」と。
白い服を着た男が、茶の間をのぞき込み、視線を上げると身を反らして戸袋に隠れるというのです。
しばらくして、貸家に住んでいて行方不明だった男の住人が、岩手山で死体となって発見されたという報告がありましたです。
またある時は、家族で町に出かけるとき、妹が振り返りますと、屋敷の2階のガラス窓の奥から、見知らぬ女の子が私たちを見下ろしていたということも。
さらに、これは日が沈んでからのことですが、風呂に入っていた叔母が、「やんた、やんた」と素っ裸のまま首のあたりをかきむしり飛び出してきたのです。聞くと、湯船につかっていましたら、獣のしっぽのよーなイガイガが首に巻き付いたというのでありました。
茅ケ崎の、この廃屋の周辺を探ってみました。
2階の屋根は蔦でおおわれております。一階の窓も墨で塗りつぶされたよーに真っ黒でございます。
樹木だけが生気を吸い取って夏空に葉を茂らせておりました。
もしも、ここの新しく家を建てるならば、家を撤去し整地しただけではダメでしょー。
神主に形だけの地鎮祭をたのんでも効果はありますまい。
眼鏡をかけ、ダイバーズウオッチをした神主ではやくにたちません。
だいたいにして、神社に詣でるときは眼鏡をはずすのは常識。
私メのノートに鎮魂のさまざまな技法が記されておりますが、ただ「気」をゼろにしてもいけないのであります。
ここは20年間は祟られることになるであろーと指を折って計算したのでございました。
買い手がいたら、そのお方はよほどの業深き因縁のあるお方なのだろーと、アーメンと祈った次第でありました。
不思議ですよね
誰も住まなくなった廃屋と言うのは足を踏み入れるのに躊躇するくらい
どこか不気味さをたたえています
私の故郷にも1件、廃墟が存在します
一家離散と言うのではなく、同じ部落内の土地に移転しただけの事
今では朽ち荒れ果てた廃屋となった敷地内には
母屋とは別に納屋を立派にした建物が存在します
遠い昔、私が子供だった頃
この納屋を立派にしたような建物の「建て前」がありました
「建て前」には大工さん達が完成途中の建物の上から
御餅やお菓子・小銭を投げるという式で
式の当日は部落内外から人が集まったものでした
当然、私達子供達は投げられる御餅や菓子、特に小銭を拾おうと
目線は建物上の大工さんの手元に集中
イザ、お宝が大工さん達の手によって巻かれると その場は騒然
大人しい私は近所のお婆さんに突き飛ばされ何も拾う事が出来ず
最後に大工さんが投げた空になった竹籠が顔面に直撃 イデッ
最悪な最後でしたが、故郷に墓まえりをする度その廃墟を目にすると
あの時の懐かしい記憶がまざまざと蘇るのです
●十傳より→昔と比較して面白味の少ない時代でございますです。