2025
10.13
10.13
そろそろではないかと思い、涼しくもなったし、
「ちょうど良い」
遺影を撮ってもらいに写真館の扉を開けたのでした。
死んだとき、葬儀屋の係の人がテキパキと、適当な写真を加工して、遺影にしていたことを思い出すのであります。
「それじゃなく…」
と制御しても、では「どれを?」
しかし、見つからず、まぁいいかと任せしまう過去をいくつか知っておりますです。
祖父も、祖母も、また父も、心ならずの遺影となってしまったことを思い出しました。
心ならずは、遺族の受け止め方ではございますが、本人にとっても、「粗末にされてしまった」感は、きっとあるはずでございます。
で、写真館では、「ポーズを決めますから」と注文し、たとえば画像のごときポーズをとったのでありました。
遺族がなにかで困った時、私メの遺影をみて、「甘えてはいられない」とか「そーだ、アレがあるぞ」などと勇気とヒントを得られるよーなイメージなのであります。
ギャンブル誌用に、かつてカメラマンに何枚も撮られた撮影の頃を思い出しました。
たとえば、中山競馬場で、たとえばロトの抽選会場で、たとえば出版社の地下の倉庫で、たとえば事務所の書籍を後ろにした腕組みのポーズで。
死んだ後もこの世に存在したい未練はございませんが、へなちょこの写真を残されたのでは浮かばれません。
と、言うか、へなちょこ写真のために何十年も生きてきたというのでは死にきれないのであります。
撮影を終えた写真館をあとにした私メは、魂を抜かれたよーに、茅ケ崎の街をふらふらした足取りで自宅への道を歩いたのでございました。
さすが先生…笑 発想がすごい。
確かに、この感じの遺影だと
「こうしちゃいられない!」って思います。
先生が死んじゃった感も薄れてイイです!
●十傳より→遺影で遊びましょー。
後ろに何気なく写ってる鞄に何を詰めて、
あの世へと小野先生は渡るのか
そちらにも興味あります
●十傳より→あの世とやらがあるのならばですね。
推命では、
まさか、そろそろという事なんですか ?
●十傳より→第三死期の第一波が近いのであります。
今出ている先生の写真が素敵だと思います
キチンとしている写真より自然体の先生の方が
しかし、相変わらず年齢を感じさせないイケメンな先生です
●十傳より→ふっふふふ。