2011
12.18

卑猥な小石ではありませんか。
いつぞやの海で拾ったものなのであります。

楕円の小石のなかは空洞。
大自然は天才であります。このような造形をこしらえながら、海に捨てておくとは。

で、これでループタイを作ろうかと思いたったのありました。
本当は喉元のアクセントとしてブローチを探していたのですが、これが探すとなると、気にいったものはなかなか見つかりません。

シャツのイチバン上のボタンあたりをご覧くださいまし。

少し作ってはこうやってタメしながら、
「うーん、こうではないようだなぁ」
と、また作り直すのであります。

そうして夜は更けゆくのでありました。

さいごに、ループはやはり革紐しかないようだ、と翌朝、「ゆざわや」の開店と同時、
「か、か、革の紐はど、どこでしょうか」
店内を掃除したばかりのモップ片手の、太めのネエさまに尋ね、指を差したほうへと急ぐのでありました。

そうして、完成したのが、この画像なのでありました。

卑猥さは失われましたか、なかなかよろしいのではないかと、自負したりしておりますです。

卑猥さも海の記憶も失われたのが、ちと残念。
ジャン・コクトーのように、耳におしあてても、海の響きを懐かしむことはできませんのです。

「あんた、キョトさ行って、変わったぁ、はぁ、まえのオノさんじゃねもの、まえだば、こったな細工しねがったよぬぇ。わだしっさぁ、前のオノさんのほが好ぎだったぅぁ」

メガネ、整形、メイク……ナチュナルは苦手。マジより擬似が楽。っつうように変わりました私メには、もはや本当の潮騒も聞こえてはきますまい。
ボロいアパートで、そういったモリオカのお不良ムスメが、もしや今夜来るのではないかと、鉄階段に鳴り響くだろうヒールの音に耳を澄ましていましたのに、ついに聞くことがなかったように、私メの耳にはホントの海の音はたぶん聞こえてこないのであろうと、淋しいような安堵のような、そんな気持ちなのであります。

過去と現在が混濁する頭で、けれど、世界に一つしかないニセモノもイイものではないかと、作り終えたルーフタイをしみじみとうち眺めるのでありました。

2011
12.17

一年間働いてまいりましたが、このメガネが自分に対する降臨祭の贈り物になったようであります。

冬になりますと陽光の具合なのでありましょうねぇ、文字がちと見づらいのであります。

目、歯、マラと、この三つがダメになると老いの証拠といわれておりますです。

が、メガネをかけたお女性…つまり視力に難のあるお女性の感度は素晴らしいのではないかと思ったりするのであります。

私メの好みといえばそれまででありますが、むかしからメガネ美人に弱いのでありました。
「おおっ、汝はメガネ美人でありますね」
「メガネだけ余計ですって」
といわれたこともしばしば。

視力が弱い方が官能に集中できるのやも知れませんですね。

お女性から主婦殿におさまり、しだいに視力が衰えるのに反比例するごとく、異常なまでの性欲体質になるお方もございますですね。イイことでありますです。

主婦殿で思い出しましたであります。
こんな福本銭に対するメールがショップサイトのノンナ・デル・マーゴに届いるとのことであります。
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●今年の春から春から株式投資をはじめて、あっという間に100万円の損を出してし
まったのですが、9月末頃に福本銭5枚を購入して、財布はもちろん投資で使ってい
るパソコンにセロテープでくっつけたり(笑)、とにかく身の回りを福本銭だらけに
したら、10月下旬から負け知らずの12連勝。11月末には150万円の利益が出
ていました。きっと福本銭のおかげと信じています。(静岡県 46歳主婦)

●ブログでどなかたが「財布に福本銭を入れるときは5円玉と一緒に」と書いていたの
を読んで、さっそく試してみたら、たまたま買ったスクラッチカートで初めて1万円
が当たりました! 福本銭には確かに何か不思議な力があるような気がします。(大
阪府 33歳主婦)
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まあ、コレはこれとして。
一、メガネをかけたお女性は絶品である。

一、煙草を吸う母さまをもつ息子のチンポは小さい。

この二つは、おそらく間違いはありますまい。

2011
12.16

生き方にはいろいろございますです。
私メは、根性とか居直りとかできず、つねに逃げまくりの生き方のようであります。
競馬でいうなら逃げ馬が好きですが、いつもそれで損をしております。

いや、苦手な仕事をしなければならず、朝から机に向かっておりましたが、小うるさいお女性とお茶をているようで、耐えられず、エコ車で小田原に意味もなく逃避したのでありました。

小田原といえば、守屋のパン。
今日は開いていました。

女の乳房のようにずっしりと重い餡パンを5個ほど買うのでありました。

古い古い、昭和のにおいがプンプンするパン屋なのでございます。

そして平日だというのに、イイ女を目にする日でありました。モリオカのように、「ああ、そこをこうすればもっとイイ女になるのに」というファッション。が、それがまた、女を育てるという男の本能のひとつを刺激してやまない、一種の才能を持つお女性を多く見かける日なのでありました。

しかし、ここでひっかけて快楽に耽る時間はないのであります。
気持ちはやはり、苦手ではあっても仕事から逃れることはできませぬ。

むなしく秋波をカチ合わせるのみ。

いかん、いかん、と頭を振りつつ、ずっしりとした餡パンを親指で袋ごしにへこませつつ小田原の街をあるくのでありました。

そして、こういうオバちゃんのお客しかこない安全な中華屋にはいりまして、サンマ―メンと餃子を注文するのでありました。

オスマシのお女性も、最後にはこうなるのであろうかと、オバちゃんを見つめていましたら、オバちゃんににっこりとされまして「その席に座る人は運がいいわ」などと意味不明なことを言われるのでありました。

ヒモノを数枚買いまして、ふたたび机に戻っていたのであります。

そしてどーにかやっと原稿は完成。

私メもそろそろゴーストライターさんを雇う時期が来ているのでありましょうか。

「十傳さんくらいだよ、ぜんぶ自分で書いてるのは」
と言われたことを思い出すのであります。

けれど、こういう逃避行もまた、自分で書いているからこその得難い体験なのであるのであります。