2012
12.20

福本銭の存在を嗅ぎつけた大阪のテレビが「ぜひに!」というものですから、出演することにし、撮影現場である北千住に赴いたのでありました。

この街は20年ぶりであります。
なんという変貌でありましょうか。

まるで洗練された大都会。
私メの記憶する北千住ではございませんでした。

が、記憶を頼りに、線路沿いにあったはずの怪しげな地帯へと入りこんだのでございます。
テレビの約束時間まで、あと30分。
肉地獄の一帯は、おお健在でありました。

昭和の臭いの充満する一帯。
不幸せを背中に張り付けたような昭和の美女は、まだいそうであります。

チンピラさんも。窓の奥から私メを睨んでおりますです。
ぞくぞくするではありませぬか。

しかし、テレビであります。
喫茶店を借り切っての撮影。

怪しいセールスマンということで、芸人どもに福本銭を売るという設定。
むろん、私だけではありませぬ。
髪が生えるという「これは科学だ!」と主張する大阪のオヤジや、隕石を売る爺さん。

私メの出番は最後でありまして、彼らが売れずに戻ってくるのを待ちうけては「ありゃぁ、インチキなヤツらだ」と捨て台詞を受け止めることになったのであります。
「テレビってそういうものでしょう」
「いゆや、お笑い芸人だかなんだか知らないが、人をコケにしやがって、ぶっ殺してやりたいよ」
「殺せばいいんですよ」
「いやぁ」
なんて言うように、時間つぶしも大変でありました。

しかし、お金を出さずに、福本銭を宣伝してくれるのですから、こんなイイお話はございません。
売れそうもない小娘や、旬の過ぎた芸人の面白くもないギャグを聞き流しつつ、「まずまず」という感じでヤレばいいのであります。

しかし、疲れました。
テレビ撮影のあとは妙な興奮がのこります。
けっして良い興奮ではありません。
オッパイがほしくなる高揚感でありましょう。

が、おとなしく、東海道線で缶チュウハイを飲みつつ帰路につくのでありました。

2012
12.18

やっと、四柱推命のテキストが完成いたしまして、十傳スクールの受講者の皆様に、ゾクゾクとお送りいていますです。

「四柱推命だって? 違うじゃないか!」
とお思いかもしれませんでね。

四柱推命は先天八字推命とも子平とも呼ばれておりますです。
「先天八字推命」の方がなんとなくカッコイイと思っただけの話であります。
内容は四柱推命であります。

しかし、鬼谷算命学ってのも世の中にありまして、じつはコレも四柱推命の我流であります。もとは四柱推命ですが、鬼谷子さんという変人が、工夫してこしらえたものあります。
四柱推命ではあまり重視していない「空亡」を「天中殺」と名前を変えて、前面に出したのでありますです。

私メのもう一つの講義である「断易」も「鬼谷断易」と名付けましたが、やはり鬼谷子さんが、どうやら周易に工夫を入れたもののようでありますです。

さて、テキストは、コレだけではありません。
画像のテキストは入門編。
四柱推命に慣れていただくためのもの。
とはいっても、コレだけでもデパートの占いコーナーで通用するでありましょう。

講義の進行にそって、やがて「格局論」などのテキストも用意いたすのであります。

この半年、お女性からも離れ、あるいは相手をしないものだから「別れます」なんて言われつつ、お女色を断ち…いやそこまでディープではありませぬが、昨年までの10パーセントに抑えつつ、精力のほとんどをテキスト作りに射精いたしておりました。

さあ、さあ、今回の講義にお出になれなかったお方も、登録は受け付けておりますです。
人数が揃ったならば、月二回の夜間コースをなんとなく考えておりますれば、どーぞ!

が、このたびの一期生は、色々な意味でお得だったと思いますですよ。

2012
12.17

茅ケ崎の徳州会の建物が取り崩されていたのであります。

この病院で、どれぼとの人々があの世に旅だったのでございましょう。
一人が死ぬことは、何人の悲しみをさそうのでありましょうか。

「お前が死ぬと、少なくても一人は悲しむ」
と言われたことがございましたが、たとえ一人が悲しんだとしても、その人も、やがては死んでいくわけであります。
とおもうと、人々は悲しむことを宿命づけられているとも考えられなくもないのであります。

ふと、乳がんのお女性が思い返されました。
「全摘なの」
と妙に明るい口調でありましたが、本人もお乳が失われることをリアルに考えられないのでありましょう。

いま、ここにあるものが失われるわけでありますから、当然かもしれませんです。

「でもね、お腹の脂肪をつかってキレイなオッパイになれるのよ」
という言葉も強がりでもなんでもないのでありましょう。

そして、ふと深夜に風の音を耳にしたりすると、不安と恐怖に包まれることでありましょう。

取り壊されるそのわきには、ベンチが置かれているのでありました。
バスを待つ間に、病院で知り合いになった人たちが、つかの間の会話を楽しんだのかもしれません。

震災の影響で、計画停電がございましたが、この周辺は、病院があったおかげで、停電を経験しないですんだと聞いております。

建物が壊されるというだけで、色々な影響が出るはずでございます。

人が死ぬと、思いがけない運命をこうむるのと同じように。

明日にしよう、来年にしようと先送りして、いいこととダメなことがあるものだと、この廃墟は告げてくれているようであります。