2013
09.22

東西線の神楽坂をおりましたら、赤城神社の秋祭りでありました。
時間がまだ早いために境内の参拝者はまばら。屋台の準備が行われていたのであります。

「赤」を分解すると土亦。
「城」は土+万+戈。
「万」とすべきか「反」とすべきかは、その時々で判断の別れるところであります。

「反」としますと、「反」は「友」の未成立の文字で、友とタモトを分かつことになり、「戈」は、これは戦いを意味しますから、すなわちトラブルとあいなるのでございますです。

それど、今日は祭りでありますから「万」と判断いたすことし「戈」は勝利と受け止めますです。
土また土は圭となり、めでたい日としたいのであります。

こういう漢字を使って判断する「破字占」もなかなか楽しゅうものでございます。

事務所でゴソゴソしていましたら、力ない掛け声が聞こえてきまして、見下ろしましたらば、子供神輿でございました。

外人の子供が一人も参加していないことを微笑ましく感じつつ、しかし、よく似た顔をした隣国人もいることを思い出し、私メ特有の差別意識で一人ひとりのお顔を観察するのでした。
が、後ろからカカさまたちが見守っているので、まずは大丈夫でございましょう。
こういう祭りは鎖国的な感じが麗しいのでありますです。

「おもてなしの心」もそろそろ飽きているのであります。
人気旅館で、仲居さんたちに一斉にお出迎えされるよりは、知らん顔してくれるような旅館の方が気が楽なのであります。

いつぞや親戚と泊まった旅館で、食事の際、仲居さんが私メに、「お酒は鷲の尾でしたよね」と言われてドキッとしたことがございました。
「こごさ来たごどあるのっか?」
と老母に首を傾げられ、
「人間違いだべ、失礼な」
と憤慨したそぶりをしたことを思い出しましたのでありました。

いやいや、そんなことはどーでもよく、私メが事務所に参ったのは、「断易講座の部」のためのテクスト作りでございます。

いよいよ、夜の部も入門コースから初等科へと分け入るのでございます。
仕事帰りのお疲れのなかを、それでも着実にお勉強が進み、いつしか二冊目のテキストとあいなったのでありますです。

この断易は占いの基礎でありながら、すべての占いの到達点ではあるまいかと深く感じるのでございます。
土曜の月一の受講生のお方からのご質問を受けるたびに、そういう思いをさらに確信へと固めていくのでごさいます。

2013
09.20

良い日和であります。
乾燥した陽光は昼寝を誘うのであります。
むろん、疲れる昼寝ではなく、一人でのお昼寝。

ロメオは干した布団の上でくつろいでおります。

食って寝て散歩を楽しむ生活でございます。

我々が、この単純な人生を謳歌するためには、どれほどの忍耐を要するのでありましょうか。
いろいろな不安もございます。
対人関係や病気や金銭面…。

どうやら頭脳というものは、これらの不安を生むためにしか動いていないようにも思うのであります。

原発だとて、もしも電力が不足した時のためであったかもしれませぬ。
年間20ミリシーベルトという高い水準なのですが、それでも放射能は大丈夫とか言われておりますが、そういうことであれば10ミリシーベルトほどで関東全域は放射能漬けになっているのでありましょう。

犬は雷を嫌い怖れ震えますです。馬鹿だと思うのでありますが、ほんとうは、それくらいが丁度いいのかもしれませぬ。

オリンピック招致で浮かれ、バラエティ番組では面白くもない芸人が大騒ぎし、天気予報では長袖がイイだろうとお節介なことまで言われ、野球がどうしたとか、どこそこて殺人があったとか、司会者が降板したとか…ひとつとして自分には関係のないことばかりでありますから、テレビを点けるのが、むしろ恐ろしくてしかたありませぬ。

音楽もやかましくて仕方ありませぬ。

秋の憂鬱でありましょうか。

犬に、見習うべきことがたくさんありそうでございます。

人間にとって平均寿命80年というのは長すぎるのではあるまいかと思ったりいたしますです。
せいぜい25年くらいが適齢かもしれませぬ。

こうして半分眠りながらPCをうっているのでございますです。

2013
09.19

昼間の温度をあらいながすような涼風に吹かれて満月が泳いでいるのであります。

旧暦八月十五日の中秋の名月でございますです。
13年ほど前でありますが、大雨で名古屋が水害を受けた時、私メは京都に向かっておりました。
あと一本あとの新幹線に乗っていたら立ち往生したはず。
出版社の「安倍晴明」の取材で、大雨の中を神社をあちこちと巡った記憶がございます。

翌日、大阪の阿倍野神社に行ったあたりから天気が急速に回復し、やっと動き出した新幹線に駆け込んだのでありました。
車窓からちょぅど中秋の名月がながめられました。

で、阿倍野神社の社務所で押し売りされた「古事記物語」だったかの、あとがきの最後に「中秋の名月の日に」と記されており、日付から、一年前の今日だということに、偶然の一致のような小さな驚きを覚えたものであります。

翌日、事務所から、その著者のメルアドに連絡をしたのでありました。
すると先方から返事があり、10日後に上京する由。

上京したのは、オバさんと、その夫とかいう若い長髪の男でありました。
そのほかにネット関連の怪しげな商人も。

私メが携帯サイトに参入した、これがキッカケなのであります。
彼らとは没交渉になっておりますが、中秋の名月は、当時のことを思い出させるキーワードでございますです。

だからというわけでもありませぬが、団子をかってきて、恭しく供えたのでございます。かしこみかしこみそうろうであります。

大阪商人はどーしているのでありましょうか。
ドコモに通じていた女社長は、その後、会社を大きくしたのでありますが、部下たちに乗っ取られ、いまは妹さんのところに身を寄せているとか。

諸行無常の世は昔だけのことではございませんです。
団子は乳房のように、指先に感じられ、それは瞬間的にそのころ交わっていたお女性たちとのことに想い出が引き寄せられるのでございます。

みんな四十路を超え、なかには私メと同じ五十台に突入したお女性もいるとは信じられぬ思いでございます。
四十しゴロ。五十路ござかきむしり…。

月が笑っているような気がいたしますです。