2019
11.26

近くで交通事故でもあり、どなたかが、命を落とされたのでありましょーか。

キチンとした土台にお地蔵さまが鎮座しておられました。お花も供され、ペットボトルまで。

地蔵菩薩のいわれはいろいろと言われておりますが、他の仏像と比して、屋外に設置されているところが恐いです。

雨除けの掘っ立て小屋を建てているところもございますが、赤いオベベを深夜に見てしまったらギョッと足がすくみそうであります。

遺族の悲しみや悔しさや未練が生々しく感じられるのであります。
「もっと生きたかった…!」

の呻きが聞こえるかといえば、そーでもございません。

早かれ遅かれ、いつかは死ぬものでございますから、死んだ本人にとっては
「こんなものかな」
と蕭々と死に赴くいているのかもしれませんです。

仏様や神様まで創り出してしまう人間の欲の粘っこさ。その仏や神を学問の領域に高め、創り出した仏や神を敬い畏れる人間の不思議。
時として、生きている人間よりも神仏を大切にしてしまう矛盾。天国だの地獄を決める基準は何でしょーか。

愛という生殖行為へと導くだけの感情だったのが、その愛が独り歩きし、憎しみや殺戮へと向かわせる矛盾。愛が守りに入った瞬間に生まれるジェラシーや束縛願望。そして疑惑や不信。

大地から命が誕生し、それが感情を持つ生き物になったというのは本当の事なのでしょーか。ならば大地には、憎悪の種の種が埋め込まれているはずであります。

感情という形のないパワーはどこに溜まるのか。
お地蔵様として祀ったとはいっても、憎悪のパワーは空気のように地球を包むのでありましょーか。

11月のお地蔵様を眺めつつ、つかの間の哲学者になるのでありました。