2011
03.20

 夜の9時になると、従弟から電話が来るのであります。先ほどもございました。
 震災で亡くしたお嫁さんの火葬が本日だったのです。

 ひとしきり泣くのであります。
 きっと外で、二人の子供に聞かれないようにして泣いているんだとおもいます。

   世間では「立ち直れない人はいない」と断言する人がたくさんいます。「立ち直ろうとしたら、いつだって立ち直れるんだ」と強い口調で励ます人がおります。

 でも、そうでありましょうか?

 悲しみから立ち直ることのできるる人と、そうでない人がいます。
 いいえ、立ち直ってはいけないというか、そのまま倒れていていいからと思わずおおいかぶさって温めなければならない人がおります。

 従弟がその状態であります。従弟の親父がその状態なのです。叔母もそうらしいです。

「立ち直れるはずだ。立ち直れないなんていうな!」なんて、とても言えませんです。他人事ならば言えるのかもしれませんね。新聞やTVで見聞きします。励ますつもりなのかもれませんけれど、それは想像力も思いやりもない冷たい言葉なのであります。

「立ち上がるな、そのままでいろ。あとはオレがなんとかする」
 それが優しさというものではないかと思うのであります。

 自分でいうのもなんですが、葬式とかそういう場所では私はなぜか頼られる損な性分なのであります。
「おかしな人だおんな」
 と老母もいつも首を傾げるのであります。「あんだの顔をみてしまうと我慢できなくなって泣いてしまうんだおんや」と。

 その代わり、祝い事のときは「オメの顔を見てるとイライラする」と亡父に言われたものであります。

 しかし、従弟の泣き場所が私しかないのであれば、いつでも泣け泣けと言いたいのであります。

 本日は火葬。
 本葬は交通機関が正常に戻ってから…四月の下旬になるのでありましょう。

「立ちなおれねべおん」
 火葬にたちあった老母も妹もそう漏らしておりました。
「しかたねべさ、仲のよかった二人だおん、しかたねんだ」

 愛するということは、いずれ死という絶望の到来を回避することは不可能だということなのかもしれませんです。

10 comments

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  1. いままで巡り会った人たちの安否は、もう愛とか恋とかの次元を越えて気になったりしますね。

    やっぱり、距離をとってる8歳年上の彼(不貞の恋です)と、いつ今生の別れを迎えるかって言うのはかなり気になったりします。私の方が先かもしれないし。

    十傳先生は、やっぱり頼りたくなるタイプに感じます。私なんて足元にも及ばないかもしれませんけど…

    ●十傳より→いや私はダメであります。職業柄、悲しみを観察してしまうのです。悲しみを共有できない冷酷さが備わってしまっておりますです。
    自分だけは自分の恋を不貞と決めつけなくてもいいのではありませんか?

  2. 先生、大変でしたね。。

    本日の 旧ブログ?のコメントに
    <皆どうせ他人事なんだなーと腹立たしかったです>
    というお言葉をいただきました

    私は 十傳グラブ追放 覚悟で申し上げます!

    「はい 確かに 他人事なんです 今生は
    ソレを知るという事も 人生です
    依存、執着してはダメなのです (恋だけにしてください)」

    先生、お願いがあります たとえ私が 困って苦しんで死んでも
    私のためにクラブを閉鎖にはしないで下さい
    続けてください お願いします!!

     ●十傳より→自分を責められるな。りり殿は素直なんでありますよ。コメントでは優しさを隠しているだけでありますよ。

  3. 自分でも、不貞の恋とは想いたくないのです。彼には「私の最後の男性です」と伝えてあります。
    彼は「妻や家族を愛している」といいました。そんなのは分かり切っているし、私も家族を守らなくてはなりません。
    しかし彼はまだまだいろいろな出逢いを求めさまよっているようです。私のところに戻ってくるのか。それ程の魅力が私にはあるのか。
    この不安が、不貞の恋などと弱気にさせるのです。

     ●十傳より→心の奥まで開きすぎましたですね。彼は残された若さみたいなものを遊びの恋で充実させたいのでありますよ。夏の終わりの蝉なのであります。二人には心の会話は毒にしかなりませんです。

  4. 先生~ 毒舌&ギャグ吐けなくなりました~

    ・・・ 今日は ひとり 青山に行きました。
    オープンカフェ? いいえ 母方の先祖眠る 青山霊園です。。
    私は (霊感がないので) 落ち着く場所でもあります・・・
    外苑西通り 桜トンネルは まだまだですが お天気が良く
    こひがんばなが 綺麗でした 1時間たたずんでいました。。

    私の母も3姉妹です 母は長女ですが一番綺麗です 実は
    母の上に 一人 お父さんが違う お姉さん(みんな仲良し)がいます
    母は次女なのでしょうか?  末っ子の叔母は目が大きく一番可愛いです。。

    女系で全員嫁いだので 青山のお墓は 独女の私が見ることになりました。

    ●十傳より→ご先祖、一人占めってわけですね。そういえば21日はお彼岸の中日でありますねぇ。

  5. そうえいば 先生、 気のパワーの日、19日は
    18年ぶりの <スーパームーン> だったみたいですよ!
    ご存知だったのですか?
    昨日20日の 満月は雲隠れしてましたものね・・・

    うっかり 間違いたにしては 偶然すぎです!

     ●十傳より→できすぎた偶然でございましたですね。たまにはこんなこともないと…ってな感じであります。

  6. 本日は休日出勤でーす。ちょいとおさぼりしてカキコ。
    りり様はとても正直だと思います。
    他人様に対して四六時中心を痛め続けるなどという芸当はあたしにはできません。被災状況をテレビで見続けていると、じわじわと心が病んでくるのが感じられるのです。精神のバランスがとれず壊れてしまいますです。バランスをとる為にも、生を実感できる状態を開放するんです。
    とはいっても、<腹立たしかったです>とおっしゃられる方のお気持ちもよくわかりますです。不幸の真っ只中にいると、どんなものでもどす黒く見えてしまったりします。無理して作っているであろう笑顔の被災者に対してでさえも、「なんだアイツへらへら笑いやがって」となるものです。
    なんか上手く表現出来ないけれど、言いたいのは、「りり様、まぁ、そんなに気になさりますな」です。

    ●十傳より→放射能漏れの時、鳩山や小沢が九州に難を逃れていたことに比べれば、ぜんぜんでありますよ。彼らはどこまでも無能者のうであります。それを騙されて選んだ国民…いやその頃から不吉な何かが漂っていたのでありましょう。

  7. 先生、akiko様 <はいっ!>であります。。
     
    ここまで なんとか無事 ふてぶてしくも生きてきましたんで
    今後も 不謹慎&ふしだら と言われながらも
    素直で正直に(あ~ 言葉が照れくさい)やって生きますよ~

    それにしても キャツラは九州でしたか・・・呆!
    それなら 私は 異国への逃避計画を早めなければ
    (本心は 青山墓地は嫌なのであります)

    職場にも 震災にあわれた両親と会えずにいる
    一人暮らしの 女子がいます (多分数人いるでしょう)

    私の弟や 職場の人に 液状化現象が不安の地(埋め立て)で
    30階建ての高層マンションの 上階住んでる人の話も 聞けば 
    物品を 買占めに走る気持ちがわからなくもないです
    今回の地震で 非常用の電気が止まったタワーもあり 
    昇降できず 閉じ込められ EV、オートロック お手上げだったそうです
    弟には 「上から目線だったからよ!」 と毒舌吐けますが
    みんな不安がってるので 今までどおりにいかないのも現実です

    先生、19日の パワームーン 18年ぶりではなく(すみません) 
    <18年ぶりに大きかった>のだそうです 。。 
    嬉しいです 私は 「気」や「パワー」を信じますので!
    真心、気持ち・・・など 本当に大切なものは 目に見えないものだから。。

    ●十傳より→きゃつらなどに騙され「いまの自民党は…」と異口同音に発し濁票を投じた皆の衆。「国民の皆様の健康を考えて」などとほざいて煙草税を引き上げたきゃつらを吊るし首にするときがきましたのじゃ!!

  8. 人生には、本当に色々な、ことがあります。従弟の悲しみは、どんなでしょうか。言葉が見つかりません。
    でも、お嫁さんは、死んだのではなく最も近くにいつもいつも、ご主人とお子様二人のそばで、見守ってくれています。私も、17歳の時突然の父の死に会いましたときその様信じてきました。私の大事なときには、必ずアドバイスを、するために夢に出てきました。でも、私は、ほとんど、聞いてきませんでした。聞いてたらもっと良い人生だったかもしれません。

     ●十傳より→従弟はきっとお嫁さんはいまに帰ってくるものだと頭のどこかでずっと待っているのでしょう。いつまで待っても帰ってこないから諦めてしまう。それが死というものを受け入れることなのでありましょう。

  9. 父の通夜は二晩を経てからだったが、あたしはその時の弔客を殆ど憶えていない。元々家族の中で『ベソ子』の異名を持つあたし。お焼香の最中だろうが、一人で泣きっぱなしだった。葬儀の喪主が涙をこらえて立派だったとか、よくワイドショーとかでコメントするけれど、『涙を堪える事の立派さ』という伝統だかセンスだか感覚だか意義だかがあたしには理解できない。悲しくて泣きたいんだから、鼻水が垂れようが、瞼が腫れあがってブスになろうが、他人に見っともないって思われたっていいよ、それを見た人を見っともなくさせる訳じゃないし、誰に迷惑を掛ける訳じゃないし、好きにさせてよ、放っておいてよ、…涙が枯れない、止まらない…だったな。悲しいから泣くだ。基本的な欲求はこらえると後々しっぺ返しがくると思う。…やば、墓穴を掘りそうだ…やめにしよう
    夜中に家の前で車を止める音がしたりすると「お父さんが帰ってきた」という錯覚が1年以上あったけれど、父との思い出がひとつひとつ思い起こされ蓄積していくにしたがって悲しみが薄れていった。

    ●十傳より→TVのワイドショーの良識の押し売りはどうにかならないものでありましょうか。

  10. 今日も、放射能の雨を被ってまいりました。

    管、枝野、原発の専門家が何を言おうと関係ありません。
    明日の飯を食うため、家を閉め切って世界平和を祈ることは許されません。

    TVでは、アナウンサーが泣きながらレポートして、
    コメンテイターがすすり泣く茶番には付き合えない現実があります。

    そんな番組を繰り返し観ているのは、
    買いだめに成功した涅槃像のような姿で傍観している人なのでしょうか・・・。

    「こんな夜は、ビールでもかっくらって美味いもんでも食いたいなぁ・・・」

    それって、不謹慎でしょうか?

    この震災が海外だったら、自分のふるさと以外だったら、
    自分の身内以外だったら、自分以外だったら、
    どう、思うのでしょうか?

    募金活動、募金、救済活動をし、
    赤ちゃんを抱き上げ避難させ、
    老人を避難される行為は偽善なのでしょうか?

    不謹慎のボーダーラインもわからない自分です。

      ●十傳より→TVでキャスターに開設されると、すべての行為が偽善に感じられますですね。私はそろそろ、ウナギを食いたいのであります。