2012
03.23
スペインにて買ってきた腕時計であります。
定価の半額で、しかも、もう一個時計がプレゼントされるというので、これは儲けたとばかりに飛び付いたのでありますが、まんまといっぱい喰わされたのでございますです。
この時計、動いたり止まったり、うっかり信じると30分も遅れたりという、信用することのできないシロモノでありました。
ですから左腕にはちゃんとした時計。右腕にはこの時計をはめているわけであります。
ダマされたと言えば、それまででありますが、時計屋に持っていきましたら「ちゃんと動いてますよ」と戻されまして、それからいたく気に入っているのであります。
けれど、いちど信用できなくなった時計は、可愛くても、どこまでも信ずることはできませぬ。
昔のことであります。
ひとりのホステスちゃまに恋をしたことがありました。
いいムードでした。
ところが、彼女は数人の男と付き合っていまして、私メがプレゼントした服でラブホに行ったりしていたことが分かったのでありますです。
いまなら、それはそれで官能の刺激剤となるのでございますが、当時は、まだウブでありまして、嫉妬というか、そういう感情に苦しんだモノでありました。
「仕方ないのよ、お客さんだから」
と、なっとくのいかない弁解に怒ったりもいたしました。
その彼女がこんどは一人のお客と海外旅行に行くのだといいだしたものですから、私メの苦悩はそうとうでありました。
旅行する当日に、空を眺めていましたら、上空を旅客機が北へと飛んでいくのであります。
ああ、この飛行機に乗っているのであろうかと、胸がかきむしられる思いでありました。
夜も寝られない経験を初めて知ったのでございます。
そこで仕方なく、別のお女性を誘い、乱れた数日を過ごしたわけでございます。
で、帰国した彼女に「オレだってさ」とお客と旅行したことなど気にしていないという意味を込めて、告白しましたところ、
「そんな男だとは知らなかった。裏切り者!」
と罵られたのであります。
どんなに好きで好きでたまらなくても、もはや彼女を信じることはできないのでありました。
後年、そう10年も経過しましてから、
「わたしね、さいごの頃は、オノさんだけだったんだよ」
と告げられても、そして、そのことをたしかに理解しましたけれど、
「他の男たちと遊んでいたスリリングなキミが好きだったかもね」
としか応じることはできなくなっておりました。
そして、若かった自分を恥じたり、苦笑したり、懐かしんだり、二度と純な頃には戻れなくなっていることにも、どこかで満足しているのでございますです。
右腕の時計は、気まぐれな不正確なゆえに、なかなか手放すことはできないのであります。
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2012
03.22
神田を歩きますと、このような濠に出るのでありますが、このありさまでありますです。
これが、日本人の正体であるなぁと、つくづくイヤになるのでございますです。
東京オリンピックのために高速道路が建設され、誰が考えたのか、お濠をこのような無残な景観にかえ、東京を世界でも数少ない醜い街にしてしまったのでございますです。
この高架がなければ、どんなにか東京の街は美しいでありましょうか。
おそらく舟などを浮かべ、季節の花々をお濠から眺めることができたはずであります。
そのようなことを思いつつ、早春の神田界隈をそぞろ歩いたのでございますです。
すると、「へぇ、こんなところに少年画報社があったのか」と、なつかしい発見をいたしたのでございます。
私メが小学生の頃、月刊「少年画報」というマンガ雑誌がございまして、七大付録とかがあり、胸をときめかして発売日を待ったものでございました。
辻なおきの「ゼロ戦はやと」とか戦記物が面白かったような記憶がございますです。
少年画報のほかに、「ぼくら」とか「冒険王」、「少年」もありましたのでございました。
たしか手塚治虫の鉄腕アトムは「少年」に連載していたかと思いますが、定かではありません。
手塚治虫のマンガは好みじゃなかったので、「少年」はほとんど読みませんでした。
まぁ、小学生の心をトキめかしたマンガ雑誌が、このようなところで作られていたのかとおもうと、感慨もひとしおなのであります。
神田を訪れたのは、先のラーメン屋の姉妹店が、水道橋のほうにあるはずであったからでした。
そして、その店はありました。
オヤジも頭を白くさせたくらいにして健在でございました。
このラーメンの下には煮卵がサービスとして隠されておりますです。
そして他のお客には、ないしょで餃子までふるまわれました。
しかし、お客というものは目ざといもので、ちらちらと別のお皿の餃子を盗みみられたのでございますです。
高架によってダメになった負の遺産であるお濠のことも、すっかり忘れ、オヤジとしばし昔がたりに時を費やしたのでございました。
「まぁまぁ」
と奥さんも割烹着姿で現れましてあたたかい時間が流れたのでございますです
牡羊座の最初の日。
なかなか良い日でありました。
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2012
03.20
『憂かりける人を初瀬の山おろし はげしかれとは祈らぬものを』
この歌を詠んだ、源俊頼は、平安後期の、もっとも絢爛としていた時代の人でありますです。
一般訳では、「それでなくても冷たかったあの人なのに、初瀬の観音様の裏山から吹き下ろしてくる山嵐のように、もっとひどく冷たくしてくれとは、祈らなかったのになぁ」というものであります。
初瀬とは、長谷寺のことでありまして、当時、恋愛成就に効くとしてお女性たちに人気の高かったお寺なそうであります。
とすれば、この歌は、俊頼が、女の心になって詠んだものと考えることができるのであります。
冷たい男に惚れた、お女性が、その男のハートが自分に向くようにお祈りしたのに、さらに冷たくなったという意味になるのでありますです。
が、同時に、お女性が「どうして、私に意地悪をするの?」とメソメソする態度に、なんとも暑苦しさを感じた俊頼が、その理由を歌に託したとも受け取れるのでありますです。
憂かりける人→自分の愛に答えてくれなかった人、自分に対して冷たい人。
さて、これは、最初と最後の漢字を合わせて、憂+人=優となるのであります。
しかし「優」と、いまの「やさしい」という意味とは、ちと異なりますです。
「つらい」「みっともない」「けなげ」という意味が混ざり合っているのでございます。
俊頼は、そのお女性が長谷寺に恋の祈願をしたことを、別のお女性から耳にしたのでありましょう。
「彼女、悩んでいるわよ。もっと優しくしてあげなさいよ。とてもデリケートな子なんだから」ってな感じで。
その純真ぶった気持ちが、俊頼にしてみると、かわいさ余って憎さ千倍とまではいかなくても、何ともシツコイように思えたでありましょう。
不倫の男女が、最初はセックスだけの逢瀬で満足していたのに、しだいにお女性の心に愛が芽生え、その時の男のゾッとした気持ちに似ておりますです。
もっと、そよ風のような関係を望んでいたのに、こうお節介を焼かれてはたまらない。
適度な距離感を保とうとする態度が、お女性にとっては冷酷な残酷さを感じるのであります。
「そうじゃないよ。オレはセックスだけで良いんだよ」
とは言えませぬ。
「愛していないのね」
「分からないよ」
「都合のイイ女ってわけね、わたしは」
「そうじゃないって」
と弁解しても、男は、彼女の心までは欲しくはないのであります。
新鮮な男女の関係を味わえるのは「初瀬」だけ。初期の頃の逢瀬だけというわけでありましょう。
この歌は、やがて遊女の間で流行ったそうでありますです。