2014
01.19

窓のそとは雪降りなのでありました。

ストーブを抱えるようにして仕事をしておりました。
私メの部屋は暖房がなくトイレも階下。極限まで我慢し、悶えるようにして排尿するのであります。

頬にひげがのび、髪の毛もごわごわ。
郷里の私メはひどく無精でありまして、洗髪は三日に一度、それも石鹸を使うのであります。パンツははきっぱなし。

隠遁という風情であります。

それでも肥料を作る時は、形式的に手は洗いますけど。

雪に閉じ込められながら、むかしに読んだ本などをめくったりいたします。
太宰治とかの本が妙に似合うのであります。
ふるいエロ雑誌も情緒がございますですよ。

東京での自分が別人ではないかと思ったりもいたします。
数年後のイントロなのでしょうか。

情報という情報をいっさい遮断し…いや遮断しようという勇ましい気持ちではなく、それらがぜんぶ喧しく感じられるのであります。

しかし、明日は新幹線で都会に舞い戻らねば。
スケジュールが埋まり始めているのです。
仙台、大宮、上野、東京とたった四つの駅しか止まりませんが、ひとつひとつの駅を過ぎるたびに、頭が覚醒されていくのであります。
すると、雪降りが、数年前の景色のように現実味を失っていくのでございましょう。

これもそれも、いつものことであります。

2014
01.18

セッコキしたわけではございませぬ。
昨夜のうちから、明日の朝食は吉野家で、と決めておりました。

セッコキとは屁ッコキの入力ミスではありません。岩手県の方言でして、手抜きとか、怠け心とかの意味なのであります。

「あんゃ、セッコキして吉野家で朝ごはんっかぁ」というように使いますです。

見渡したところ、朝から牛丼を貪っている男、気ぜわしくカレーなどをすすっているヤツ、牛スキ定食を前に団欒している若者たち……これは昨夜からの飲み会の延長でありましょう……などが、それぞれの朝を迎えているのでありました。

「あの人ぉ」
と老母は不意に立ち上がりカウンターで牛丼に紅ショウガを乗せている男を指さすのであります。
振り向くと自称、若社長でございます。
この男、謎の人物なのであります。

近所に、高校生を筆頭に三人の子持ちのシングルマザーが二間だけのボロい住居に住んでおりまして、これが激しい美女。プロポーションも二十代にしか見えぬ妖艶たるお女性なのであります。
クルマの運転が乱暴だと、周囲のオバさん連中からは悪評ですが、男たちからただ沈黙、という存在でございます。

そのお女性の情夫が若社長なのであります。
「足場の社長です」
らしいのでありますが、牛丼をかっぽいでおるのは、ちと痛々しい光景。
ホントか嘘か、「休日にはよぉ、女の車でラブホに行ぐみでだっけぞ。だれ真っ赤な車だおん、見間違うはずねってば」

「朝ごはんも作ってもらえねんだべか」
と母が申します。
「向上心がないのが問題だな」
と私メ。

あれほどの美女を二間のボロ家で我慢させておくことに、すこしく憤りを覚えていたのであります。愛しているなら向上心を見せてやればイイのに、と。
が、それもこれもお女性が美女だという一点がもたらす男心の科学反応であることは、考えるまでもないことでございます。

「んだがら、息子は江南義塾にしか入れんだべおん」
新設校の江南義塾のレベルは知りませんけれど、老母は、私メの差別意識の元神なのかもしれません。

まぁ、かような会話がモリオカの名物でありまして、恐ろしく他人の家族の状況についての情報が、本人の認識より詳しく伝播されているのであります。

ともあれ、その美女の末娘は小学生でして顔を合わせると「キレイになったね」と言ったりいたします。
「ママの方が美人なんだよん」
とにっこり笑い、
「おじちゃんの家の庭で雪だるまを作ってもいっかぁ」
と無邪気な要求をするのであります。

庭は秘密の花園でして、門は終日締め切られ、なんびとの訪問も拒絶しているっぽいのでありますが、その子の申し出を許したところ、五人ほどの子どもたちがドヤドヤと入ってきましたから、老母は「あんゃ、あんや、今日だけだよ」と釘を刺すことを忘れませぬ。

吉牛を出る際には、せめてもの礼儀と、その若社長に気付かぬそぶりをつとめるのでありました。

今日は土曜日、すると彼女はアノ日なのであろうか、と思ったりいたしました。
いやいや下心があるわけでは決してありませぬ、決して、決し、決して…。
ちと外で頭を冷やしてきますです。

2014
01.16

足首を折った老母に肥料を与えるために新幹線で駅に降り立ちました。

骨身にこたえるモリオカの冬であります。
が、この季節が好きなのでございます。
タクシーをやめ、バスで実家に向かうことにいたしましたのも、冬のモリオカを思い出そうという試みなのでありました。

駅で突っ立っていれば、誰かしら知り合いに会い、
「おぅぁ」
「おぅあ」
と声を掛け合ったモノですが、それも郷里を離れて三年ほどでして、すでに四十有余年も経過すれば、顔見知りなどいるわけがなく、たとえいたとしても白髪頭かハゲ頭となっているだろうから誰が誰なのか見分けがつくはずもございませぬ。
が、かえってそれは恐ろしいことなのであります。
誰かに目撃されていて、
「オノはよぅ、気取って歩ってらっけぞぁ」
などと影で噂されないとも限らないからであります。

いつぞや、旧友がトレンチコートを着ていただけで
「マフィアみてなかっこうしてらっけ」
などといわれていたことを思い出し、顔をかくすために、あわててサングラスをかけるのでございました。

けれども、陰湿ではありますが、そこが郷里の懐かしいところでもございます。

バスは開運橋をすぎ市街に入るのであります。
「かいうんばし」と意味もなくよんでいましたが、なんと大仰なメーミングでございましょう。
明治時代にできたこの橋は、当時は有料の橋だったとか。
明治橋がなかったころは、二キロほど下流にある夕顔瀬橋から三戸町を経て町に入ったと小学校の頃に教わった記憶がございます。
どんどんと街は変化を繰り返しているのでございましょうねぇ。

耳にする言葉ものぺっとした標準語に近く、先日、十傳スクールで、皆様の肩をほぐすために方言指導いたしましたけれど、そんなベタな方言を耳にすることはできませんでした。

帰りなんいざ、将に田園あれんとす……ですか。
私メの帰る田園は失われつつあるようであります。

三塁あたりでホームを狙っていたのに、そのホームベースが消えているという感じでございます。

しかし、実家の門の内部は、時が止まったように私メを迎えてくれたのであります。幾本かの枯れ木が心情風景とかさなりあい、幼い頃の私メが幹にぶらさがっていてもおかしくはありません。
それはそれで心重いような気も致しますけれど。

そうして玄関の引き戸をしずかに開けます。
ぬるい空気がよどんでおりまして、さらに障子戸をあけ、襖を開けると廊下が続き、奥のドアを開くと仏間であります。薄暗いのであります。その向こうにある部屋からラジオの音が漏れております。
お湯の湧く匂いもいたします。

ギギという耳慣れぬ機械音は、きっとギブスの音に違いありませぬ。私メの気配に立ち上がったのでありましょう。
内からドアが開かれ、まぶしい温かな空気が流れてまいりました。