2014
01.16

足首を折った老母に肥料を与えるために新幹線で駅に降り立ちました。

骨身にこたえるモリオカの冬であります。
が、この季節が好きなのでございます。
タクシーをやめ、バスで実家に向かうことにいたしましたのも、冬のモリオカを思い出そうという試みなのでありました。

駅で突っ立っていれば、誰かしら知り合いに会い、
「おぅぁ」
「おぅあ」
と声を掛け合ったモノですが、それも郷里を離れて三年ほどでして、すでに四十有余年も経過すれば、顔見知りなどいるわけがなく、たとえいたとしても白髪頭かハゲ頭となっているだろうから誰が誰なのか見分けがつくはずもございませぬ。
が、かえってそれは恐ろしいことなのであります。
誰かに目撃されていて、
「オノはよぅ、気取って歩ってらっけぞぁ」
などと影で噂されないとも限らないからであります。

いつぞや、旧友がトレンチコートを着ていただけで
「マフィアみてなかっこうしてらっけ」
などといわれていたことを思い出し、顔をかくすために、あわててサングラスをかけるのでございました。

けれども、陰湿ではありますが、そこが郷里の懐かしいところでもございます。

バスは開運橋をすぎ市街に入るのであります。
「かいうんばし」と意味もなくよんでいましたが、なんと大仰なメーミングでございましょう。
明治時代にできたこの橋は、当時は有料の橋だったとか。
明治橋がなかったころは、二キロほど下流にある夕顔瀬橋から三戸町を経て町に入ったと小学校の頃に教わった記憶がございます。
どんどんと街は変化を繰り返しているのでございましょうねぇ。

耳にする言葉ものぺっとした標準語に近く、先日、十傳スクールで、皆様の肩をほぐすために方言指導いたしましたけれど、そんなベタな方言を耳にすることはできませんでした。

帰りなんいざ、将に田園あれんとす……ですか。
私メの帰る田園は失われつつあるようであります。

三塁あたりでホームを狙っていたのに、そのホームベースが消えているという感じでございます。

しかし、実家の門の内部は、時が止まったように私メを迎えてくれたのであります。幾本かの枯れ木が心情風景とかさなりあい、幼い頃の私メが幹にぶらさがっていてもおかしくはありません。
それはそれで心重いような気も致しますけれど。

そうして玄関の引き戸をしずかに開けます。
ぬるい空気がよどんでおりまして、さらに障子戸をあけ、襖を開けると廊下が続き、奥のドアを開くと仏間であります。薄暗いのであります。その向こうにある部屋からラジオの音が漏れております。
お湯の湧く匂いもいたします。

ギギという耳慣れぬ機械音は、きっとギブスの音に違いありませぬ。私メの気配に立ち上がったのでありましょう。
内からドアが開かれ、まぶしい温かな空気が流れてまいりました。