2014
07.20

屋根を打つ雨音と雷鳴に誘われて、本棚の詩集を開きますと、なかなか洒落たページが開かれました。

横浜の花火大会は、さぞ濡れ鼠でにぎわったことでありましょう。

夏は一生にいちどきり。土砂降りの雨は若い人たちへの真夏の夜からの想い出の贈り物でありましょう。

愛とカラダは愛欲。
けれど、愛とココロはじめじめ。

愛を「盗み」と読み替えれば納得納得でございます。
「どーして私を盗んでくれないの」
「心も盗んで欲しいのに」

「買う」と読み替えても面白うございます。
「わたしの心も買ってください」
ふむふむ。

こうすると気持ちがヨークわかりますです。
盗みたい心、買いたい心。

運命学では量や重さ以外の、心の分野までは測れませんです。
でありますから、相性の良し悪しは、運命学ではお金と地位などでは測れるけれど、心情的なものについては皆目見当もつかないのであります。

でも、盗みたいのか、買いたいのか、買うとすればいくらで?
50円なのか、1億円なのか。いやいや逆にお金を積まれても買いたくないケースもありましょう。

よくよく見えてくるのでございます。

また雨脚がつよまり、隣の屋根が白くしぶいておりますです。

冷房をかけて靴下をはき、夜の雨を感じているのは、まことにしやわせ。

終バスに雨傘でお出迎えした、あったかどうだかすら忘れた過去のダイヤモンドの濁りを磨きつつ、依頼された雑誌の構成を考えたりするのでありました。

とうに自分の夏の土砂降りは過ぎてしまいましたけれど、これからのお女性のために、ふちのない水のような気持ちに戻さねばなりませぬ。
それに占いの文章をベールのようにそっとかぶせるのでございます。

盗賊が洞穴で冷たくなった王女のつややかな腕をふききよめるように。

2014
07.19

三茶、いわゆる三軒茶屋に来たのは久しぶりのことで、プロムナードが出来ていて、ひょっこりと、こんな場所に出てしまったのであります。

所用でまいりましたから、ぷらぶらする時間はございませぬ。

なれど、記憶にある三茶とは様変わりして、釣り堀もございませぬ。

十年ぶりではないかと、「ああ、そうだ」などと浦島太郎気分なのでございました。

「西友前でまってるから」
と約束したのは、するともう14年も過去のことかもしれませぬ。
「こんな部屋に住みたいの」
と雑誌の切り抜きには、キレイな部屋の写真が載っていて、「いつかな、住めるのは」と、そのお女性は、その切り抜きを、私メにひらひらと見せつけるのでありました。

それが常のように、246の十字路の地下道の入り口で手を振ってバイバイするのでございましたが、あれから、それほどの歳月が経過しているとは、とても思えぬのでございました。

想い出の場所に舞い降りると、当時のままの記憶がドットで押し寄せてきますです。
感情すら、当時に戻るのでございました。

彼女の部屋に向かうときも、この地下鉄の出口から。
そして茶沢通りをサミットまであるき、弁当や飲み物などを買うのでございました。

マボロシでございます。
確定された過去なのでございます。
にどと息を吹き返すことのない濁情の想い出でございます。

お女性の心とカラダの秘密を教えてくれ、何処と知れずに消えていったのでございました。

「お風呂、掃除して、オノさん掃除上手いからぁ」
マボロシの声が聞こえたような気がするのでありました。

2014
07.17

カボチャなんです。
が、カボチャでもドUPすると淫らなものに目に移り、淫らなものも遠眼で眺めれば、しらけて見えるものでありましょう。

そして、カボチャであっても、隣にキュウリなどを添えると、淫らを意味するものとして、本能に訴えかけますです。

コカ・コーラの瓶が女体をイメージしたと聞いたとたんに、中学生だった私メは、そのクビレ部分をムンズど掴んで指の股に感じられる濁った透明感を楽しんでのでした。

愛に反対語があるならば、それは「無関心」かもしれませぬ。

肉体には関心があっても、その精神面に無関心であることは、愛していないという証左となるもので、が、それを双方とも認めがらないことから愛欲のもつれが始まるのであり、他人の眼からはよく分かっても、当事者の眼には曇って見えないのでありますです。

そこで心理カウンセラーや易者の出番となるのでございましょう。

ところが、心理カウンセラーも易者も、その曇った部分の答えを出せなかったからこそ、そういう方面を学んだわけでありますから、彼らを頼ったところで明確な答えを貰えることも不可能なのでございます。

とくにネットなどに答えを求めたとしても、ネットはいわば商売の入り口。良いことしか書かれていないのは当然なのでございます。

カボチャとキュウリをどう見るか。

悩んだら、そこで引き返すのが正解なのであります。

しかししかし、悩むことが趣味というお方が多いのも事実なのであります。単純に答えは出ているにも関わらず、深く追求しすぎて涙を流し、その涙顔を鏡に映して、どこかご満悦。

淫らさを楽しみたいなら、ドUPで。
恋を楽しみたいなら十歩引いて。
これが秘訣でありましょう。

愛欲の答えは、誰にも分かりませぬ。
ただ、その遠近法での直感によるしかないのでありますです。

「オノさんの気持ちは大嫌い」
嬉しいことを語ってくれるお女性は多ございますです。