2014
11.14

しがみつきたいほど陰鬱な11月が郷里のモリオカを包んでいるのでございます。

氷雨に濡れた落ち葉のいちまいいちまいが、ひかりを失って枝から離れております。

本を読むより、音楽を聴くより、絵画を観るよりも、魂をゆさぶられるものですから、しがみつく何かを求めてしまうのです。
老いや死はみぢかなところにあるのであります。

バーボンを喉であじわいつつ、古い映画の話をするような相手がいれば、それで満たされるのでしょう。
そして傘もささずに濡れながら家路につけば最高でございましょう。
けれども、なにもせず木々から葉っぱが散る風情を眺めてしまうのも、モリオカの秋の特徴かもしれません。

占いでは、季節を重視し、たとえば春生まれは、木々がすくすくと育つために、命式に適度な水と太陽があれば高命と判断しますです。

秋月生まれの木ならば、魂は根に帰るのでありますから、地面の温かさが必要となります。たとえ春のような生木ではなく、死木であっても、有用な死木となれば良いのでございます。

自分は…と私メは落葉を眺めつつ考えるのでございました。
いかなる老木となればイイのであろうかと。

季節によって運命を考えるのも、また運命学を深める一つとなるようでございます。

2014
11.12

カニをいただきました。

テープを剥いで蓋をあけたら北国の風の音が聞こえました。
幻聴です。

しかし11月も更け、冬の重さが感じられると、そういう幻聴も格別であります。

錯覚や幻聴や妄想が、現実と言われるものより心地よいのであります。
会うことのない漁師たちのどら声とか、船の軋む音が聞こえ、氷の砕ける音も聞きたくて耳を澄ますのでありますが、そのような姿勢になると、もう何も語りかけてはくれませぬ。

まさか私メに食われようとは、カニは思ってもいなかったことであり、翌日には藻屑と化すことなど考えも及ばぬはずであり、北海の海で、なんだか知らぬうちに網ですくわれ、殺されてしまったというだけの一生だったのでございましょう。

それはカニに限ったことではなく、ならば未来のことを深刻に考えるだけ愚かであり、つまり妄想に溶け込むことで十分なのかもしれませぬ。

おそらく明日はカニを食ったことすら忘れ、グラスを傾け音楽などに耳を傾けているに相違ありませぬ。

昨日の現実は、今日の虚構。が、今宵の妄想が明日の妄想とは限らず、現実になる場合もありそうでございます。
グラスの中で氷が溶ける音で、ハッと我に返ると、もう老人になっている自分という妄想が、現実になるように。
「この店に来てから何年になるんだっけ?」
「…10年かな、もっと、20年はたってんじゃないの」
と言われて、20年間もグラスの氷ばかりを見ていたのかと思うこともたびたび。

「ゆうべ、カニを食ったんだよ」
「カニを?」
「美味かったよ、すごく。ミソがいっぱいでさ」
「しやわせね」
「うん、しやわせ」

ああ、「しやわせカード」のための宛名書きがあるんだった、と現実に戻されるのでございます。

2014
11.10

2日間の講義の尋常ではない疲労はなぜであろうかと、ベッドに仰臥して考えていたのであります。

もはや中国に占術の原典はなく、蒋介石によって台湾に運ばれ、そして現在は日本に原典がたまっておるのであります。

それらを眺めつつ、師からの占術を受講生に伝えるのが、私メの役割なのであります。

ところが昨今の、尖閣列島および小笠原諸島の領海侵犯。さらにはTPPなどの諸問題を背景に、昨日、講義中に、ふと考え込んでしまったのでございました。

日本の意識では、その先、成り立たないのでは…と。

奇門遁甲の講義で、たとえば甲尊を使い、金運を上げる方法、恋愛を成就させる方法などがございますです。天盤が甲で、八門が休門の場合は…、開門の場合は…、八神が太陰なら…、とその方法は様々で、日本人のモラルを凌駕した秘訣がございます。
それらは人間の本性に基づいたことなのであります。

そういうことを述べつつ、「このような悪魔的な思考に生まれた時から染まっている中国人に敵うだろうか…」と思ったのでございます。

ヘイトスピーチなど、そういうことをしている場合ではあり申さぬ。
これは平成の黒船でありますです。

和を説いたって、平和を論じたって、せせら嗤う輩でありますです。
中国にだけでなく、南北朝鮮もアメリカとて同じこと。

奴らより、もっと悪くなるしかないのでございます。

占いなど遊びに過ぎませぬが、そのお遊びの根底に、つまり奇門遁甲、断易、四柱推命の根底に、奴らの思考の基本が色濃く染まっております。
占いは、結局は、人間の本性を見抜く技術なのであります。

ここに占いの開眼がございましょう。

いまこそ、占術の中の、人間の本性のエッセンスを理解し、おのれに取り込み、奴らよりたくましく生まれ変わらねばなりませぬ。

二日間の講義で、私メはもしかすると怒っていたのかもしれませぬ。
カンカンに怒り狂っていたからこそ、翌日、つまり本日ですが、予想以上の疲労に、午前中はダウンしていたのかと、いま自分を見つめているのでありました。

ニュースで、総理も専門家も、みんな甘すぎであります。
昨日の奇門遁甲の講義を聴講していただいた諸君! 諸君なら、それがまざまざと感じたのではあるまいか…です。